思いの全てがそこにあるから①




続きになります。
箇条書きにしたら、思いの外早く書けました。
ただ、わかりにくいかもしれません。

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◎既に初回で、私のことを気に入ってくれていたため。行けばとても喜んでくれました。
◎ただし、私が誰なのかは忘れていて。それはともかく来てくれて嬉しい!の全開。
◎マシンガントークでずっとご自身のことをお話しされる。おうちは一番大事で離れたくない。

◎おうちの中は足の踏み場がないほどに散乱していましたが、その方には宝物だったりするので捨てられない。
◎その中から新聞を発掘しては持ち帰って処分。
◎捨てられない中でも、空き箱とかたくさんあるスリッパとかは、この方と一緒にまとめてごみ袋に入れて片付け。(ただし、ごみの日に立ち会えないので捨てられなかった)

◎近所の方から植木の背が伸びすぎて、電線が危ないから何とかして欲しいとの話がでて。嫌がるこの方を説き伏せて、妹さん方にも連絡。当時の職場の別部門に依頼して、作業してもらい、集金。その間、この方は何度も忘れてしまう。その都度連絡が来て間に入る。

◎他にもこうしたことが何度かあり、私自身の負担が大きくもなりました。

◎ケアマネさんが決まったあとも、引き続き訪問して欲しいと、妹さん方から職場に依頼が。所長も快諾、また一声私にかかる。

◎妹さん方も相応のお年頃。だんだんと家に執着して施設に入らないお姉さんが苦痛になり、関係性が悪化。イライラした想いを聞かされたことも。
◎時と共に所長も妹さん方も、そちらで口約束していた内容が、だんだん忘れられていて、私が勝手にしていることにされたり。


そんなこんなが色々重なっていたところで。私も別な諸事情で退職しました。

その後どうなったのか等は、私も色々思うところあり聞いていません。

ただ、この3年間、色々勉強になった。
それだけは間違いないです。


<追記>
この方にとっての「おうち」は、良いことも悪いことも全てを共にした同志でもあり、この方のプライドの証しでもありました。
それが執着になった…と言えばそれまでですが。何かきっかけがないと引き離せない。難しい問題だったと思います。


今回は認知症に関係した話で。

誰かの参考になりそうな話だから書いておきます。


地元密着型で、少数精鋭だった職場。

もう退職して4年。この職場では色々ありすぎたため、様々な思いが去来してしまい。この件も書き始めてから、何度も筆が止まります。


なので、ゆっくりと、自分のペースで。それと、関係した他人様に迷惑がかからない程度に内容を抑えて書いておきます。




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その方とは、食品部門に異動になったあと。集金訪問中に出会いました。


お届け済みの商品の代金の集金。

いくら訪問してもお会い出来ない、そのため回収できないという。


行きました。会えました。


おうちから、ニコニコして出てきたその方は、バッグの中がたくさんの宝物やそうでないものでいっぱい。とってもお話好き。

おうちが大好き。このバッグに大事なものは入れてあるといいます。


バッグの中に通帳があって。

それをもって郵便局に行けばお支払できる。連れていって…とのお話。



当時異動になったばかり。(この後、不慮の出来事で一月待たずに退職をされる)店長も同行されていたので、相談の上、郵便局へ。



ところが、そこで分かったのは。

お持ちになった通帳は、



◎ご本人が『盗まれたから止めて欲しい』と申請していた通帳であること。

◎警察にも『盗難届』が受理済みになっていること(郵便局に記録がありました)。

◎その申請は1度だけではないこと。


その郵便局のスタッフさんは、その方と大分長くお顔見知り。ここ数年で、大分様子が変わったのだと、私に話してくれました。



不安になったその方をなだめて。とりあえず、おうちにお連れして、また日をあらためて来ることを伝えました。

その時に出てきてくれたご近所さんから、身内ではなくご近所の方が、時々様子を見てくれていることなどを知りました。また、おうちの中が足の踏み場もないことも。




会社のオーナー(所長)に話して、社会福祉協議会に私から連絡。


お身内を調べて連絡して欲しいこと、ご近所の方が様子をよく見てくださってるけど手に負えなくなっていることもお伝えし、未集金のことも話しました。




さて。一月ほど経って。社会福祉協議会に連絡を入れました。


先月ご連絡した方の件で、お身内と連絡が着いたなら、集金の話を伝えて欲しいと申し入れました。


お身内と連絡がつき、別部門の新聞代も未収金だったので。日にちをあわせて私がそのお宅に集金に。後からいらした妹さんたちからお代をいただきました。


その際お伺いしたのは、


◎ずっと電話でやり取りしていたけれど、こんなことになっているとは気づかなかった。

◎正直いって困惑している

◎これから介護申請など始めるために病院に連れていくが、本人は嫌がる


といったことでした。




集金後、しばらくして所長からお呼びがかかり。


◎妹さん方から新聞を取り続ける代わりに、週に一度の様子見と新聞回収を引き受けた

◎あなたを気に入っているので、その担当をするように

◎まだケアマネさんは決まっていない


といったことでした。


断る理由はなく、退職するまでの約3年のお付き合いになりました。


続きはまた、あらためて書きたいと思います。

気持ちの整理が必要なので。時間がかかるかもしれません。





ケガをした当日の話はこちら


今回はその翌日から完治と考えられるまでになったときの話。それと余談。


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翌日。千葉に帰ってました。


ただ、今のままでは片付けもままならない。
まずは出来ることはないかな…と、子供たちにがお世話になっている柔道場に連絡。

河野道場は、その頃接骨院もされていました。
ありがたいことに「すぐおいで」と言ってくださったので、即診察。


◎三角巾はしばらく使い続けること。
◎関節はなるべく動かしたくないが筋肉は動かして、貯まっている血を吸収させたい。そのため電気による筋肉へのアプローチ。
◎手先、肘から先は使っても良いけれど、痛くならない程度に。
◎痛いと思ったらそれ以上は動かすなというサインだから、痛み止めは飲まないで様子を見る。

こういった感じで。ほぼ自然治癒を目指した感じでした。

前回まとめた過去ログを見てもらうと分かりますが、三角巾が外れるまで3週間。自転車に安心して乗れるようになるまでには2年かかっています。時間はかかったけれど、他の筋肉が衰えることもなかったし、変なくせも残らなかった。
後遺症的な痛みなどを起こしていないのは本当にありがたいと感じています。


ただ、今は50歳を過ぎたこともあり。念のためのメンテナンスを先月から始めました。



ここからは、当時身に付けた事などを少し。


◎仕事は、指先が使えたのでPC入力は出来ましたが。この時、片手打ちが出来る「かな入力」をマスターしています。

今でも基本は「ローマ字入力」ですが、これをマスターしておくと左右どちらがケガしても使えます。

また、書類を主に扱ってPC検索のみ使いたい時には、筆記用具持ったままキーボードを使えるので、とても便利。今の仕事は校正もあるので、この技能はありがたいです。

今は再就職して間もないため、してないですが。2文字いれるとよく使う言葉が優先的に上がってくるようにもして、時短も工夫していました。



◎腕を上げられないので、いちばん困ったのは洗濯物。高いところに干せない。
そこで手に入れたのは、S字フックの長いタイプ。30センチくらいあるもの。

それにパラソル型ハンガーやピンチハンガーなどをかけて、下げて使っていました。

良くなってくるとだんだん腕を挙げても苦にならなくなってきたので、長さを変えて目安にもしてました。


◎この時の一番の副産物は、旦那、子供。
私が「出来ない」「ムリ」と伝えると、無理強いはしなくなりました。それまではすごかった。特に旦那が。「出来るはず」が前提なのでどこまでもいつまでも。これがなくなりました。

ついでに、この時に「労り」を覚えてくれたと思います。

◎この時、産前から辞めていたスノボを再開して初年か2年目。下の息子が10歳の年。
子供たちが、自分のことはある程度は出来るようになっていたからです。
「やらなきゃ」が自動的に訪れた。
ありがたくはないけれど、ある意味、良いタイミングでのケガでした。


過去ログに、杖をついたおばあさんからのご指導があるけれど。
本当に言われた通りだと思います。
だから私、最近になって、特に痛みもなにもないけれどメンテナンスを始めました。

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以上、腱断裂した時のまとめでした。

皆さんも、大きなケガにはお気をつけて。
治療には早期だけではなく、長期的な視野も持ってね。