瀬戸田です

昨年のお話ですがよろしくお願いします



前回の乳腺科の術後の定期検診を終えて

自宅最寄り駅に降り立った時に

携帯の着信に気づいた



義兄だった



徒歩10分で自宅に着くから

帰ってから旦那さんに連絡を取ってもらったらいいや



自宅に着いて義兄からの電話あった事を伝えたら

もうかけたよとの事



それからややあって

今回の私の診察結果を話そうとしてたら

先に自分の話を聞いて欲しいと旦那さんが言う



母が先程亡くなったのだと聞かされた



瀬戸田の両親は既に亡くなっており

旦那さんの父は私達の結婚式当日に亡くなったので

親と呼べる人は義母1人だけだった



つい数週間前に入院したと聞いていた

それまでは一人暮らしで

自分の身の回りの事は出来ていたし



長年の農作業で腰が曲がっているとか

節々が痛む事はあったろうが



なんら持病があるとかは無かったのに

突然5月ごろに肺がんの診断を受けた



夏頃にはどうしたら母が苦痛なく日々過ごせるかを

二人で考えたり相談したりして試してもらい様子をみていた



そうすると母からは

前より息ぎれし難くなったよとか

固まってた指が動かせるようになったよとか

日常生活が少しでも過ごしやすくなった事を喜んでいた



だから

そんな長くは難しいだろうけど

年を越せない寿命だったなんて考えても無かったのだ






葬式や納骨も終わり

母の居ない山のポツンと一軒家に

旦那さんと私、義兄の3人で泊まった

 


この年は10月でも夏みたいな気候だったけど

山は夕方からはグッと気温が下がるから

炬燵に炭を入れてもらった






この家のお風呂も五右衛門風呂なので

瀬戸田は火を起こせないからお任せ

入る時は木の板を沈めて周りの鉄の所に

身体が当たらないよう真ん中にしゃがんだ



母の食器棚にはいったい何客あるんだろうというぐらいのお茶セットが並んでいる



昔はお正月などは親戚が挨拶回りで沢山訪れるし

何らかの行事には手伝いやら人が集まるのが当たり前だったからもてなしに必要だったのだろう



自宅周りには点々と親戚の家が数軒周りにあったけど

そこも今は全て空き家だから



お昼間も何の音も無く静かで

誰もこの地を訪れる人はなく

夜は尚更静かで微かに川の流れる音だけ聞こえている



朝に山水で洗顔して見上げるとあけびが

実を割っていた






もう誰も収穫に来ない

大きなゆずの木の実もいくつかもいでもらった







玄関周りの花々には蝶が舞っている







生前1人で寂しく無いかと聞いた時に

そんな事は無い此処が1番好きと言っていた



確かにポカポカと太陽を背にしていると

桃源郷とはこんな所かもと思った



納骨の時にペルシャ猫のような毛並みの

真っ白な猫が何処からか現れて

義母の自宅の方に消えて行った





何回も振り返りながら皆んなを見ていたから

あれは母だったのかな



ふと気づいたのは私達が結婚した時の

義父母当時の年齢に今の私達夫婦がなっていた事(どちらも5歳違いで同じだから)



という事はこの私の歳から未亡人となり

ここに一人でずっと暮らしてたんだな



街からすると何もかも不便だけど

ここにしか無いもの

ここでしか得られないものが沢山あるのは

訪れる度に感じていて



義母がいつも

「寂しくは無いよ此処が1番好き」

と言ってたのが分かる気がした