今から50年前

1976年6月4日、マンチェスターの小さなホールで行われたセックス・ピストルズのギグ。
後に「世界を変えた伝説の夜」と呼ばれることになる。ロックの歴史が動いたその地鳴りのような夜から始まったパンクの刹那的な季節を思い出す。
まさにそのアイコンとなったシド・ヴィシャスが、21歳というあまりに早すぎる死を迎えたのも、その衝動の延長線上にあった必然だったのかもしれない。

そして、そんな若すぎる死の影を追いかけるとき、ロック好きの頭には必ず、あるもう一つの不穏な数字が浮かび上がることになる。

「27クラブ」という言葉がある。

27歳で亡くなったミュージシャンたちを指す呼称で、古くはブライアン・ジョーンズ、そしてジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーンやエイミー・ワインハウスなどが有名だ。
もちろん、統計的な意味はほとんどないらしい。
だが、ロック好きにとって27歳という数字には、どこか抗えない魔力が宿っている。

哲学者ハイデガーは人間を「死へ向かう存在」と呼んだが、27クラブの物語が人を惹きつけるのは、死そのものよりも、有限な時間の輝きを極端な形で見せるからなのだろう。文学の世界でも、ランボーは若くして創作を捨て、夭折した作家や詩人たちはしばしば伝説として語られる。人は完成された人生よりも、途中で閉じられた物語に、より強い意味を見出してしまうものだ。

若い頃は、27クラブにどこか憧れのような感情すら抱いていた。早世、夭折、そういう危うさも含めて、それこそが「ロック」なのだと思っていた。

だが、44歳になった今は少し違う。
彼らの音楽は相変わらず格好良い。ただ、私はもう、彼らが死んだ年齢を17年も通り過ぎてしまった。
その事実に、時々妙な感覚を覚える。

27クラブのミュージシャンたちは、永遠に若い。
こちらだけが勝手に歳を取る。
仕事を覚え、住宅ローンを払い、子供の入学式に出席し、健康診断の結果を気にする。かつて神のように見えたロックスターたちは、今や自分よりずっと年下になってしまった。
それでも音楽を聴けば、彼らは今も27歳のままだ。
考えてみれば、27クラブとは死の神話ではなく、時間の神話なのかもしれない。

彼らは若さのまま保存された。だから私たちは彼らに、自分がいつの間にか失ってしまった何かを見る。

プルーストが記憶の中に失われた時間を探したように、私たちもまた彼らの音楽の中に、自分自身の過去を探しているのかもしれない。レコードや配信音源から流れるのは単なる楽曲ではなく、もう戻れない季節への通路でもある。
果たしてそれは、未熟さか、衝動か、漠然とした自信に似た何かを信じていた頃の自分か。

もっとも、今の私は伝説より、娘の成人式まで生きているほうがずっと重要だと思っている。
ニーチェは「生きる理由を持つ者は、ほとんどあらゆる苦難に耐えられる」と書いたが、人間というのは、案外つまらない理由で大人になるらしい。

それでも深夜に彼らの声を聴くと、少しだけ昔の亡霊たちに会いたくなるのである。