誤解されている。と言えば語弊があるのだが、どうしてもタレントとしての印象が強すぎるのではないか、と長年モヤモヤしている存在がいる。
テレビの向こうでは豪快?なキャラクターとして親しまれているが、まず何よりも「歌手」である。
しかも、ただの歌手ではない。
日本のポピュラー音楽史を振り返っても、あれほど圧倒的な存在感を放つボーカリストはそう多くないと思っている。

和田アキ子さんである。

歌が始まった瞬間に、空気の密度が変わる。
声量が大きいという話ではない。
「声そのものに質量がある」のだ。
まるで声が先に歩いてきて、その後から本人が現れるような感覚。若い頃の和田アキ子を聴くと、その異質さがよく分かる。

和製R&Bの女王とも評されるが、私はむしろ、日本語でソウルミュージックを成立させた数少ない歌手の一人だと思っている。

もちろん、本場のブラックミュージックとの音楽的背景は違う。
しかし、感情を歌詞に乗せるのではなく、「自分自身を歌詞へ流し込む感覚」は驚くほど近い。

特に若い頃の歌唱には、黒人音楽への憧憬だけでは説明できない荒々しさがある。ブルースが本来そうであるように、まず感情が存在しているのだ。
だから、時に粗い。
だが、その粗さこそが最大の魅力になる。

近年のボーカリストは上手い。信じられないほど上手い。音程も正確で、表現も洗練されている。
だが、ときどき思う。
聴きたい歌は本当にそれだけなのだろうか、と。
上手くてきれいな歌が溢れる現代に、魂の震えるソウルが聴きたくなる。

ソウルミュージックが教えてくれるのは、歌とは「音程の再現」ではなく、「感情そのものの発生」であるということだと思っている。
和田アキ子さんの歌唱には、その瞬間がある。

歌っているのではない。感情が声になってしまっているのだ。
だから何十年経っても古びない。

音楽の流行は変わる。録音技術も進化する。
「歌は世につれ世は歌につれ」とはよく言ったもんだ。
それでも和田アキ子さんの歌を聴いていると、音楽とは結局、人間そのものなのだという、ごく当たり前の真実を思い出すのである。

タレントとしてのアッコさん評については、私の胆力の都合により今回は割愛せざるを得ない。
非常に残念に思う。

決して怖いからではない。
本稿の文字数には限りがあるようなのだ。たぶん。