私が知っていたのは、共働学舎は、自由学園とつながりが深く、精神や知的に障害を持たれる方との共に働く生活をしながら、ゆったりとした時間の中で、世界に誇る、素晴らしいチーズつくりをしているというくらいのことでした。
今回訪問するに当たり、「みんな神様を連れてやってきた」を読み、現地で、宮嶋望さんの講演を3時間も聞かせていただき、少しの時間でしたが実際に生活させていただいて、実にたくさんのことを学んできました。
宮嶋望さんのお父様にあたる、共働学舎の創設者の宮嶋眞一郎さんが、「共働学舎の構想」を書かれています。それを少し長いですが、引用すると
1 共働学舎とは何か―その願い
競争社会ではなく協力社会を
いまの社会がこれでよいと思っている人は少ないと思います。それではどこに問題があるのか、熱心に考えざるを得ません。個人の考え方やあり方に相違があっても、社会全体としては競争社会であることが根本的な問題であると思います。人生の目的や価値の基準が競争原理に基づいている場合が多くあります。…競争社会は当然勝者優先となり、勝者がすぐれた人であり、勝てない人は駄目な人、役に立たない人と思われ、知らず識らずのうちに差別と不公平の意識が生じます。………多様であるゆえに一致するときにこそ価値がある人間の生命(いのち)を、可能性を見出しつつ育てるところに使命を持つべき教育が、そのあるべき姿から離れて全く別の方向に走り続けているいまの社会は、国の内外でそのうちに取り返しのつかない結果を必ず生じることを憂います。
共働学舎は、今の社会通念となっている点数によって評価される価値観ではなく、人間一人一人に必ず与えられていると信ずる固有の生命の価値を重んじ、互いに協力することによって、個ではできないさらに価値のある社会をつくろうと願うものです。
目に見える命は、その力量も含めて計ることが出来ます。しかし特に人間にとって大切なのは目に見えない生命です。正直さ、温かさ、誠実さ、信ずる心、愛の心などは計ることが出来ません。…
共働学舎は目に見えない生命の大切さを重んじます、。それは障害や病気を生来与えられて、生きるのに苦労している人の中に、見えない生命のよさと輝きを、より多く発見することが出来るからです。そのように、あらゆる生命は神によって真に公平につくられていると信ずることが出来ます。共働学舎はその神の公平さを重く感じ、全く差別なく互いが協力し一致することによって、よい社会をつくっていけると信ずるのです。
手作りの生活を
・・・・・共働学舎は勤労生活を重んじます。生きるためには、どんな人でも食べ物と住居(すまい)と衣服が必要です。これらを自分の力で作り出すことの喜びを味わうことが、生活の豊かさの大切な要素ではないかと考えます。その苦労が人間性を高く深く成長させると信じます。苦労はあっても、生きるものすべての本来の望みである生活の自由がそこにあります。創意と工夫がもたらしてくれる自主独立の手作りの生活が生じます。それぞれに与えられている個性と能力が生かされる舞台があります。
この勤労生活は、近代社会の特徴とされる分業制度よりも人間互いの関係が親密になり、家族のような強い心の絆を必要とします。・・・
人間の作りだす物と人間自身の力の限界を深く知って、天地の創造主を仰ぎたく思います。この生産的勤労生活の中で神を愛し、人を愛し、自然を愛し、生けるものすべての生命を愛して生きたいと願います。
真の平和社会を求めて
・・・
人間一人一人は、調和ある真の平和社会をつくるために、すべての人が必要な存在としてつくられているのだと信じます。私達は、競争社会よりも愛による協力社会の方が、個人としても社会としても豊かになりえることを信じます。そして人格と人権とが神の前にすべて平等であることを信ずるときに、はじめてそれが可能となることを、日常の生活の中にまず実証しなくてはなりません。・・・・・・・・・・
私たちは、真の平和社会を求めます。そのためには、自分たちの一番身近な生活の場をそうしなくてはなりません。互いに赦し合い、、神の前に赦しを乞う祈りなくして、真の平和は与えられないでしょう。
共働学舎は、これらの願いと祈りをもって始められた、独立自活を目指す教育社会、福祉集団、農業家族です。
まだ続きますが、
この構想は、ここで生活する皆さんが、共通して持っている目標です。
このことが、生活の中で、あちこちに、実現されていることをとても強く感じることが出来ました。
実際の生活を作り上げていくご苦労は、計り知れないものがありますが、
ひとりひとりが全体をなすものの一部分であることを自覚しながら、自分の持てる力を精いっぱいに発揮して、それぞれの場所で生きているのです。不足をさりげなく補い合って。
共働学舎新得農場は、一つの桃源郷を実現していると感じ、こころが震えましたよ~。