2014年のアメリカ映画

 

 

 

 

【 監督 】 ランドール・ウォレス

 

【 出演 】 グレッグ・キニア、ケリー・ライリー、コナー・コラム

 

【 ストーリー 】

天国を旅してきたと話す少年とその家族の実話をつづった同名ベストセラーを映画化

 

ネブラスカ州の田舎町インペリアルで妻や3人の子どもたちと一緒に暮らすトッドは、小さな修理会社を営みながら牧師も務め、さらに高校レスリング部のコーチや市の消防隊員など多忙な毎日を過ごしていた。ある日、3歳の長男コルトンが虫垂炎で病院に緊急搬送される。2回の手術で生死の境をさまよいながらも奇跡的に一命を取りとめたコルトンは、やがてトッドに天国を旅してきたという驚くべき話を打ち明ける。その内容にはコルトンが知るはずのない生まれる前の出来事も含まれており、天国の描写は聖書の内容とあまりにも一致していた

※映画.comさんの作品紹介から引用

 

 

 

 

 

 

いたいけな愛らしい子どもが奇跡体験をする

 

同じような映画を知っています

 

 

 

『 汚れなき悪戯 』、1950年代の古いモノクロのスペイン映画

 

 

 

 

昔よくテレビのロードショーで観ました、古いキリスト像が少年の願いを聞き入れ奇跡を起こすというストーリー。

当時はクリスマスの時期になると放送され、キリスト教徒だった親父から、観るように、と反強制で観せられ、小学校低学年の子どもには退屈な映画でした

 

 

 

この作品もスピリチュアルな事象に全く関心の無い方にとっては、本当に退屈で、

見どころも無く、『 それで、何が言いたいの? 』となってしまうような映画

 

一方僕のような、オカルト、都市伝説、スピリチュアルに関心あり、という者にとっては興味深々といった内容です

 

実話がベースになっているという点からも、そんなにドラマ性も無く、ましてあっと驚くような展開なんかも皆無

 

 

 

でも私的には、幼少期にキリスト教が身近にあったという環境や、

やっぱり幼かった頃生死の境をさまよった我が子、当時本当に可愛くてしょうがなかった長男坊が、マルセリーノ坊ややこのコルトン坊やとダブり、いろいろな想いが交錯しました

 

 

 

 

 

 

人間が、見て、聞いて、嗅いで、味わって、触って感じる感覚、五感で感じられるものが全てであると解釈すると、スピリチュアルな事は全て全否定しなければならなくなる。人間の五感で感じることだけが万物の事象の全てなのでしょうか?

 

人間の脳の仕組みを含め、21世紀現在の科学でも人類がまだ解明できていない事の方が圧倒的に多い

 

 

 

死後の世界なんて、無いと否定するよりも、まだわかっていないと解釈する方がある意味自然だと思います

 

 

 

現代科学では肉体が滅びることイコール “ 死 ” と定義付けていますが、

タンパク質やアミノ酸などで構成されている私たちの肉体が土( 地球 )に還ってしまう事イコール全てが無になる事なんでしょうか

 

私たちが強く意識し、想い、念じると、脳波の波形が微妙に変化することがあるそうです、想いは伝わるとも言います

 

 

 

個人的には、地球上に生きる生物は、肉体とそれを支配するエネルギー体で構成されており、肉体の生存限界と、エネルギー体のそれとはかなりのギャップがあると考えます。

故に肉体が無くなってもエネルギー体としての人間( 意思や想い )は存在し続けて居ると思いますし、私たちの五感では察知出来ない場所も存在しているのではないかとも思います

 

まだまだ現代科学で立証出来ていない事実もある、と解釈すべきと思う

 

 

 

 

 

愛する我が子を信じ、誹謗中傷にも負けず行動した主人公のような人が、

今後解明されていくであろう、臨死体験や死後の世界、人間の持つ隠された能力などの研究の進歩を助けてゆくんだなと、改めて思いました

 

 

 

 

 

 

 

洋画だいすき あーにゃ さんのブログ記事をお借りしました

 

この映画をとてもわかりやすく解説して下さっています