2003年。アメリカ、ネブラスカ州。
インペリアル市とうい小さな街で、
トッドは牧師でありながら小さな修理会社も営んでいた。

また、ドッドは同時に高校のレスリング部のコーチ、
市の消防隊員、そして3人の子供の父親として、
忙しくも幸せな日々を送っていた。




ある日、3歳になる長男のコルトンが
高熱と嘔吐を繰り返し、病院に緊急搬送される。
病名は「穿孔(せんこう)虫垂炎」。

2回の手術をするが、生死の境をさまようコルトン。

医師からはコルトンの為にできることは
何もないと告げられるトッド。




絶望の淵に立たされ、
トッドは“神”に「あなたは、私の息子を奪う気か?」
と、叫ぶしか出来なかった…。

しかし、奇跡は起こった-コルトンは一命をとりとめたのだ。

そして、奇跡は続いた。
-やがて、元気になったコルトンは
トッドに天国を旅してきた話を始める。

それは、聖書の内容とあまりにも一致する
天国の描写だった…。




天国は本当にあるのか…。

死後、天国に行くために
この世で善い行いをしなさいっていう教えは正しいと思うけど
子供のうちから もう死後の世界を考えて生きているのか…。笑

何も考えず生きてる私は、地獄行きだわw



天国は本当にあるのか!?ないのか!?は、
正直なところ、大きい問題じゃない

臨死体験で、
天国に連れて行かれたけど戻ってきた人、
逆に、地獄行きの列に並んでいて
あまりにも地獄が怖かったので引き返してきた人が
この世にいるみたいやけど…




この作品では、天国があるかどうかがテーマに見えて
愛する子供の戯言ともいえる話を
心の底から信じて聞いてあげられるか?
が、ポイントやなと思った


お母さんをはじめとする周りの人は、
コルトンが臨死体験で天国を見て来たと言っても
全く相手にしないのに対し、

お父さんは、最初から最後まで
コルトンの話をしっかり聞いて理解し学ぼうとしていたっ




お母さんや周りの人は、
コルトンが知るはずのない事実を次々と口にした時に、
ようやく臨死体験について信じてくれたけど
それじゃ遅いねんな!

自分にメリットがあることしか信用しないって感じ



初めから子供の言うことを
信じよう、信じたいという姿勢で
聞いてくれたお父さんがすごく印象的だった

まあ、お父さんは、
コルトンの天国エピソードにのめり込みすぎて
仕事に持ち込んでしまったり
行き過ぎたところはあったかもしれないけど

これぞ親の鏡と思ったね!


私の感覚だと、
臨死体験したとか天国に行ったという話は
その場の話として盛り上がるけど、
世間話の一種として、そこで終わる話だと思ってた


けど、この映画では、
コルトンの一言がかなり重く受け取られたり
最終的には、その話を本にまとめられるから
やすやす適当なことは言われへんなと思ったね笑

ちょっとした子供の一言から始まった臨死体験の話が
だんだん範囲の広いものになっていってしまった



近所のおばちゃんが、
コルトンの父親トッドに対し
『そんな話はするな!』って怒ってたのは、

一回だけならまだしも、何度も何度も天国エピソードを
公共の場を使って話すので公私混同するなってことなのか、

信者を相手に、いち子供が体験した天国話を
堂々とされたくないってことかな

ことの発端は、コルトンの一言からだけど、
子供は責めないでね…



私は無宗教だから、天国があるかないか論は
そう熱くならないし怒ったりもしない笑

無宗教な気持ちで鑑賞すると、
『まあそんなアツくなるなって(笑)』
『天国はある?ああそうなんだ(笑)』
『え?天国は無いって?ふ〜ん』ってカンジ


信者の皆さんの気持ちを考えながら鑑賞すると
『大切な祈りの時間に、正しいかもわからない
    他人の子供の体験談は聞きたくないわッ!』



『コルトンの命が助からないかも…。』みたいな、

自分のチカラではどうしようもない時には、
さすがに、『祈りましょう』とはならない様子(笑)

ヤバいときに祈って神に救いを求めないのなら、
日頃の悩みだって、祈っても同じなのでは?笑


〈 祈る 〉という選択肢があることで、
現実的に、自分の行いで変えれそうなことでも
動けなくなりそう

ほんまにやばい物事に直面したとき、
信者でも神頼みをしなくなるのには驚いた(笑)