とある若者と共に死にかけました。 | 10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba

とある若者と共に死にかけました。

今日の明け方5時の京都の東大路。

交通事故がありました。

軽に乗ったおっさんと原付きの若者の事故。軽のフロントは思いっきり凹んでて原付きはナンバーも吹っ飛んでヘルメットも持ち物もいろいろ散乱してた。

タクシーに乗っての帰り道、人が横断歩道のど真ん中に原付きと共に横たわっていた。運転手さんが「あ、事故してますねぇ。。無線でセンターに情報だけでも入れた方が良さそうですねぇ。」と、そこまでは良かった。僕は『あ、ちょっと止めて下さい!僕行きますから!』

「え?…行くの?ほんまに?どうしますの?えー…」

『いや、メーターそのままで待っとって!』

お金払ってる場合やないし運転手さん職務中やし取り敢えず放っといて飛び出した。

どうしようか迷う自分がすぐそこまで来てたから追いつかれる前に飛び出した。

軽のおっさんは携帯で話しながら若者に触れない様に一度側まで行って様子を見たけどまた離れて「事故しましてぇ。…はーい。ええ。」とか言ってる。

若者は人形みたいにグニャグニャに身体がねじれて白目剥いて口を思いっきり開いたままもの凄い形相でピクリとも動かず固まってた。人があんな事になってるのを初めて見た僕は一瞬ひるんだ。雨に濡れたアスファルトに顔からうつ伏せだった。「これ死んでるのかな。。」さっき振り切った迷いがまた追いつく前に彼の腕をギュッと握って「大丈夫か!」と呼びかけた。反応は無い。凄い怖くなった。ゆっくり身体を仰向けにして彼の持ち物と思われる紙袋を中身ごとバキバキっとねじって枕にして気道確保と頭を冷やさないようにして後頭部と首の下に敷いて膝を少し立てて腕も濡れたアスファルトから彼のお腹の上に組ました。すると突然彼が口と目をいっぱいに見開いて「は…い………はい。」と言った。

良かった!生きとった!

とても普通やない様子で表情も尋常や無かったけどとにかくまだ生きとった。

ほんっまに嬉しかった。

声が出てない声で「良かった!」としゃがれて溢れた。

その時向こうから猛スピードの車が来た。深夜で他に車は無しで真っ暗で雨で視界不良。彼の3m程前に飛び出して思いっきり両腕を振った。止まる気配は無い。ダイハードの空港でのジョンマクレーンみたいにさらに思いっきり振った。「アカン……アカン…アカン!!!轢かれる!!!!!」と思ってももう避けれへん!

「うーわっ…」て血の気が引いたけどビビりながらも懸命に手を振り続けた。

50mぐらい先でようやく気づいたか急ブレーキでタイヤはロックして車はちょっと斜めになりながら5秒ぐらい雨で滑ってほんまに目の前で止まった。一瞬目をまんまるにしてハンドルにしがみついて2、3秒してから車の中から怒鳴り声が聞こえた。

今思えば30mぐらいは余裕で滑ってたって事や。

滑ってる時彼もきっと「アカン轢いた!!!」って思ったやろうな。

泣きそうな顔して怒ったはった。

ゆっくり通り過ぎる際に若者を視認して「ああ、そういう事か…」という感じやった。

僕はおっさんに近づいて行って「前で車止めなアカンでしょう!このコも見たげなアカンやんか!」て言うと手を「はいはい。」としながらアッチを向いてポケットに手を突っ込んでまた電話で話し出した。

「なんや!それ!おい!」て怒鳴ろうとしたら後続車がまた凄い勢いで来た!

とにかく深夜で雨は最悪の状況や。

ここではアカンと思ってもう3m程前に出てなるべく街灯の光を貰ってさらに両腕を振った。

やっぱり猛スピードや。気づかへんかったらどうしよう…

また滑りながらなんとか止まった。

次は比較的連続で来たから先頭車をなんとか止めるとそのブレーキランプで幸い後ろには伝わった。

アカン、これはそのうち確実に轢かれる。

僕は両腕を振りながら後ろも見れず「タクシーの運転手さんかおっちゃん!助手席か運転席の下!それかトランク!非常灯!非常灯持って来て!早く!火薬のでもLEDでも何でもええから!」

と大声で何回か叫んだ。

おっちゃんは反応無し、タクシーの運転手さんは「非常灯!?お客さんもうよろしいんちゃいます?車気付く様になってきたしー!」

次単独で車が来たら一緒や!気づかんとまた突っ込んでくる!

「いいから非常灯ーーー!!!!!」

次の車が来た!

と思った瞬間辺りの壁に赤黒い光が薄く走った。

救急車かパトカーが来たんや。

助かった。横断歩道のど真ん中にパトカー止めてお巡りさん降りて来て無線で話しながら若者に近づいて行った。

僕は手を振るのを止めてお巡りさんに「さっき一回返事しました!」と伝えたけど若者は凄い形相のままでまた反応が無い。

大丈夫やろか。おっさんはまだ電話してる。

「あんなんしといたら轢かれるやんか!」と震えながら言うた。

お巡りさんが「うん。息はしとるさかい。軽自動車~…原付き…二十歳ぐらい。はい。」無線で話してる。

タクシーの運転手は「お客さーん!もうよろしいですやろー!もう任して行った方がよろしいですってー!」

取り敢えず無視してお巡りさんに状況を伝えてたら次は救急車が来た。あの時の気持ちはもう形容出来ない。すがる思いと「よう来てくれはった!ほんまにありがとう!」って。

しばらくしたらお巡りさんが「はーい。もういいですよー。」と言ってくれたけど僕はその状況をしばらく見てた。「脳震盪起こしてるねぇ。」とお巡りさん。意識は戻ってると言うが若者は呼びかける言葉にニワトリみたいにクイッ、クイッ、と不自然に顔を動かして目をいっぱいいっぱいに見開いたまま不規則に反応していた。僕も空手の試合で経験あるし誰かの脳震盪には何回か出くわしてるからそれが脳震盪特有のモノだと落ち着きと共に少しずつ飲み込めて来た。

「お客さーん。もうあとは警察と救急車に任して乗らはった方がよろしいですってー!」

救命士に診られている若者を尻目にあとは任そうとタクシーに乗った。

『運転手さん…あれ僕止めてへんかったら一台目は確実にあのスピードのまま轢いてましたでしょう?』

「そうですねー。あれは完全に気づいてませんでしたからねぇ。」

自分より若いコが目の前で死ぬ事。事故して死なせてしまった人も一生背負って生きていく事になるしその家族も一緒に背負うやろう。相手の家族もどこにその哀しみを持って行けばいいのか?運転手さんが同じ目に合って死んでしまったらアンタの家族はどう思う?悔しさと怒りと良心に揺らめきながら生きていかなければならないのだ。

どう思ってるんやろう。。

僕が思うにもし止まらず、降りずあのまま行ってたらすぐ斜め後ろで轢かれるのを目の当たりにしたやろう。

それを見てそれからその事実を自分中でどういう事にして生きていくのか?

俺はきっと一生後悔するやろうし。運転手さんかて同じ筈や。次回は勇気を出して欲しいと願うばかりや。頼むから解ってくれ。アンタは若い頃運と縁に恵まれて今に辿り着いたのだ。

次はもし一人やったら必ずアンタに行って欲しいんや。

僕はもし今日そんな事を目の当たりにしてたらもう歌ったり誰かに「勇気を出せ」とか「助け合え」なんてとてもやないが言えへんようになってたかもしれへん。

そもそも自分の迷いと弱さで若いコが轢かれて死ぬとかあり得ない。絶対に。

溺れている人を助けたり、専門的な事故や災害の現場では僕達素人に出来る事はかなり制限される。

苦渋やが力及ばんかもしれん。

でもそれ以外の事は出来る事でいいから精一杯やらなきゃそんな状況は一生に一度あるか無いかや。

何回かあっても出来る限り慣れん様にせなアカン。

僕は数年前、とある女性が横断歩道で倒れて、周りの人達がそれを中心に大きく広がってただただ見ていた所、原付きで通りがかった欧米人の女性がその原付きをガシャーンと乗り捨てて!慌てて駆け寄り、声をかけ「誰か救急車を呼びなさい!早く!」と人命救助にあたったという話を聞いて。その話をよくライブのMCでしていた。Life is sweetのDVDでも長時間かけて話しているんだけど今日のあの瞬間、横たわる原付きと若者を見てフラッシュバックしたんだ。あの話が。

それがあったから飛び出せた。僕は居合わせてない人づての話しを聞いたに過ぎず、その欧米人の女性を僕は見ていないけど頭にはそのシーンがずっとある。

そして震災直後、岩手、大船渡や陸前高田の仲間達が民間人だけど、街のみんなで救助活動にあたり、皆何人も何人も御遺体を運んだという話を聞いていた。

その時の遺体の状況、過酷さ、悲惨さ、運んだ者のその後のトラウマによる精神的疾患も沢山聞いた。

男も女も、みんな普通の一般人で俺達の音楽仲間だ。

とてつもない内容だったんだ。

それを経た彼らの顔つきは兵隊さんみたいだった。悟りの様な優しさと強さと何よりも大きな心の傷。それでも助けるのだと食事も喉を通らず、来る日も来る日も遺体が夢に出てきたり、悪夢にうなされる。それでも毎日探しに行くんだ。ほとんど五体不満足の遺体を。

沢山のふとんと物資を届けに行った震災直後、彼らからそれを聞いた僕は、遠い京都のただの友達だけど何かしら語り継いだり、何かしらを何らかの形で継承して行くべきもんになったんやと勝手に思ってる。繋がったんやから。

その何らかの形が今日の事やと思ったんや。

岩手のみんなや、とある誰かの欧米人女性の話しが無ければ僕も動けなかったかも知れない。

みんながくれた力や。



「友が俺にくれた知恵と叫ぶ勇気」



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もし誰かがそういう話を知らず、同じ状況になって何も出来なくともその人には断じて「罪」は無い。知らなかったり解らなかったり、気が動転したり、一時の気の迷いは誰だってある。そんな事が過去にあっても、これからそんな事があっても決して背負わないで欲しい。

だけど僕は自分がこの話をする事によって誰かが誰かの命を一つでも救えたなら。そのお互いがこの小さな地球の中で、感謝し合い、愛し合い、小さくか弱くとも、誇りを持って称え合う世の中に繋がって行って欲しいと切に願う。

これがみんなにとって、僕で言う欧米人女性や岩手の仲間の話みたいな存在になれば。。

だから僕がミュージシャンであってそこに少しでも多くの発信力があるなら、そこを光脈にして小さくとも災いからの救済が拡がればそれでいいと思って書いてる。

偽善とか売名行為だとか、カッコつけだとかもし言われても屁でもない。いつか万が一巡り得る命の危険からアンタや誰かが助かるなら。

時には辛くとも悲しくとも、どうか日々を無事に過ごし、デイッキーズ履いてタオルぶら下げて、ライブハウスでぶっ飛ばす身近なお前達を想像しながら。

そして今たまたまこのブログに辿り着いたあなたへこの日記を残します。

政府も大人も世論も世間も関係無い。

今俺達に出来る事が日々、目の前にあるんだ。

それが必ずしも人命救助や世直しで無くてもいいから。

小さくとも友達を笑かしたり恋人を愛したり、家族を愛したり、モノを作って人々の生活に食やオシャレや安らぎや健康や笑顔や、何でもいいから届け合って笑い合えれば、世界は君の周りから必ず変わっていくよ。小さな地球で難しく考えるのはこの辺にしよう。


迷いが追いつけないぐらい、ぶっ飛ばせ。


でも無茶はしんといてや。

あんたがぶっちぎりの笑顔を見せれば「何~?どうした~ん♪」とまた笑う人が居る。幸せが、光脈が繋がる、人の笑顔は立派な幸せの一つなんやから。

今日という日もアンタの人生のワンシーンや。ハイライトにして見せてくれ。

さぁ、アンタの番だ。


いってらっしゃい。

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iPhoneからの投光

「友が俺にくれた知恵と叫ぶ勇気」

G-FREAK FACTORY『旅人』より