「僕が唄ういろんな理由」 | 10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba

「僕が唄ういろんな理由」

「僕が歌ういろんな理由」

$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba
ライヴ写真は全部ハヤチンです。『写真家 林川 淳』

さて、三田村君のえっらい長い独り言です。

ヒマな人は読んでみて下さい。

今思い出せる人生で一番古い記憶、きっと三歳の時かな、、当時大嫌いだったシイタケ(今は食べれるよ)を食べればウルトラマンになれると母が僕に言った。家族が皆、こたつの上に置かれた鍋を美味しそうに食べている中、僕はそのこたつから離れた所でわんわん泣いている、母がお箸でシイタケを口の前に持って来るので僕は慌てて両手で口を閉じ、首を横に何度も振りながら口の中で「もーんもーん」と泣いた。

涙をぽろぽろこぼしながら口を閉じて、そんなエイリアンみたいなの食べるくらいなら死んだ方がマシだと、お侍さんの様に揺るがない小さな僕に、母は衝撃の交換条件。。

鍋で黒光りしながらグツグツ揺れているあの気持ち悪いヤツを食べれば、ウルトラマンになれると母は言うのだ。。「そのかわりちゃんと噛まなアカンよ!」とか「次回のお鍋の時も食べなアカンよ!」とか、厳しい目で母は規約の詳細を伝えた。僕はそれでもそんな事でウルトラマンになれるなら破格だと思ったのだ。母の事なので、「らっきょ」や「たくあん」などの追記事項を契約後に発表してくる事は見え見えだったが、スペシウム光線さえ手に入れてしまえば、嫌いな食材なんか光線でやっつければいいと思った。

僕は大急ぎでおもちゃ箱から「ザ・ウルトラマン」のベルトを取ってきて腰に巻いて高鳴る想いを抑えながらカチャリとハメた。「ザ・ウルトラマン」の変身の仕方は今でも覚えている。両手のチョキを額にあてがうと同時に「ウルトラチェンジ!」と叫ぶんだ。テレビの中で主人公が変身する時にはいつも一緒にマネをしてきた。大丈夫だ。。

そしていよいよ母が口にシイタケを放り込んだ。とんでもない食感である。。(今は食べれるよ)「うお!口の中に熱い熱いカエルみたいなんが居る!熱いオタマジャクシかカエルが居るー!」そしてそれを二、三度噛むと一気に飲み干し「ウルトラチェンジ!」と叫んだ。「、、、」何も起こらない、、「身体はまだ全然肌色や、、銀と赤になってへん、、ウルトラマンになってへん!」母は「一個や二個でなれるかいな!早よ!ホラ!卓真!」と言ってどんどん口にシイタケを運んで来る。僕は勇気を振り絞って涙目になりながら灼熱のエイリアンを食べた。

「カムカム!ゴックン!ウルトラチェンジ!カムカム!ゴックン!ウルトラチェンジ!」

五回以上繰り返した。しかし何も起こらない。。「お母さん。。僕今どう?ウルトラマンなった?もうなった?腕とか肌色やでぇ!なぁ!光線出えへん!僕、額に星ある?光ってる?」母は「光ってる光ってる!もうウルトラマンや♪」と言いながら皆の居るこたつに戻って、今度は自分の分のシイタケを小皿に取り、ポン酢に漬けては食べて二、三個食べると目を大きくして口角を上げて笑って「ん~♪美味しいなぁ♪どうや卓真ぁ!食べてみたら美味しかったやろ~♪なぁ?あんたこんな美味しいもん知らんと生きてたら損やでぇ?栄養あるもんは何でも食べなアカンのよ!」とかいう感じの事を言った。「?」僕はしばらくきょとんとすると三歳児ながらにどういう事なのかをなんとなく理解した。ウルトラマンになれない事を。

僕は隣の部屋に行き、ベルトをしたままペタンと座って半泣きでミニカーをおもちゃ箱から取り出して遊んた。隣の部屋で鍋を囲む微笑ましい会話が聴きたくなくて「ブーン!ブーーン!キキーッ!」とか言いながら泣いてたら姉ちゃんが「たくま~!イチゴ食べよ~!たくまが好きなイチゴやでぇ~!」と言って隣から走って持って来てくれた。大好きなコンデンスミルクがたっぷりのヤツ。僕は大好きな消防車とパトカーのミニカーを左右の手に持ったまま姉ちゃんに食べさせてもらって、僕は頬張りながらやっと笑った。僕は姉ちゃんが大好きだった。




$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba




ウチの祖父(義雄)には三人の子供が居た。長男 和信 長女 栄子 次男 演丈だ。爺ちゃんは末っ子の演丈(ヒロタケ)をすこぶる可愛がった。その演丈の娘が早記で息子が卓真、つまり演丈は僕の父だ。僕が生まれる以前、可愛い末っ子演丈の第一子である早記を、義雄おじいちゃんはめちゃくちゃに可愛がったらしい。父 演丈も母 三幸も、姉ちゃんをさぞ可愛がったのだろう。おじいちゃんは何処に行くにも早記姉ちゃんを連れて行ったらしい。家に居ても終始姉と遊んでいたと母 三幸は言っていた。


$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba
宝ケ池で姉ちゃんを抱く義雄爺ちゃん。



そして僕が生まれると「跡取りが生まれた!」と言って爺ちゃんは僕を溺愛する。

生まれた直後から目に入れても痛くない勢いで可愛がってたらしい。僕もこの爺ちゃんが大好きだった。何時何処に行くのも一緒。爺ちゃんがたまに出張で帰らないと寂しくて泣いた。爺ちゃんが帰って来る時は、玄関に音がするなり全力で走って行って爺ちゃんのどっちかの足に飛びついてしがみついた、すると爺ちゃんは僕を足に巻き付けたまま歩いて僕を笑わせた。

僕も姉ちゃんも爺ちゃんが大好きだった。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba 
左上が爺ちゃんで右が婆ちゃんの静江さん。



父ちゃんは姉ちゃんにもの凄く厳しかった。行儀の悪い事をした時なんかは、そりゃあデカい手でもの凄いビンタが飛んで来た。リビングで姉ちゃんが父ちゃんに大きな声で叱られてるのを見てるのが怖くて仕方なかった。僕も父ちゃんには何度かぶっ飛ばされたが姉ちゃんに比べたら可愛いもんだった。でもそんな場面を目の当たりにしながらも、父が姉を心底愛しているのを僕は知っていた。姉もまた父ちゃんが大好きだった。父ちゃんは、強くて優しくてギターも歌も上手くて、紛れも無く我が家のヒーローだった。旅行なんかに行くと父ちゃんと姉ちゃんの二人は付き合い立ての恋人みたいに仲が良かった。中が良すぎて末っ子の僕ですら入って行けないぐらい仲が良かった。今思えばリビングでぶっ飛ばす度、さぞかし父は胸が痛んだだろう。心の中で泣きながらビンタしていたに違いない、でも父ちゃんは子供達が自分の力で幸せになっていける様に、行儀をしつけ、優しさがなんなのかを教えるために、愛する僕達をぶっ飛ばしながら、何度も教えてくれた。

父ちゃんは空手黒帯、三田村なので「サンダーソンズ」というGSバンドをやっていた。ブルーコメッツの前座もやった事があるギターボーカル、プロの契約は断って高島屋の課長さんになって僕達を育ててくれた。そして人前だろうがなんだろうが、オナラは面白いタイミングでしかしないという厳格な人だった(笑)




$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba 
空手の稽古をつけてくれる父ちゃん。俺は笑ってるけどすっげぇビビってます。



怖いけど優しくて面白い父だった。

そんな父ちゃんの父ちゃん、つまり爺ちゃんもまた楽しくて厳しくて優しい人だった。

僕はいつもいつも爺ちゃんと遊んでた。幼稚園から小学生になるまでは、京都の鴨川北大路にある「植物園」によく連れて行ってもらった。僕が昼寝からお目覚めすると、爺ちゃんがやって来て、力のある二重瞼の目と大きな口をにっこり開けて「たくまぁ~!植物園行こぉかぁ~!大きな滑り台行こうかぁ~!」と誘いに来てくれる。僕は「キャッキャ♪」と喜んだ。


家から歩いて片道三十分程、家の裏の鴨川の畔を一路、植物園まで徒歩の旅、少年の僕にはこれが大冒険だった。きっとあの頃の僕には二時間ぐらいに感じただろう。くたびれたら爺ちゃんが肩車してくれたり、僕が大好きな「足にしがみつくヤツ」もたまにやってくれた。僕は、爺ちゃんと歩く鴨川の畔で見る眩しい太陽と、二百メートル間隔ぐらいにある滝の、耳鳴りの様な大きな音を聴くと、パブロフの犬の様に多幸感を感じた。「ああ、、僕は今からあの場所に行くんだ、、」


$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba 
爺ちゃんが鴨川に連れて行ってくれる時は決まってこのカッコだった。胸の茶色いポケットにはハンカチと名前と住所を書いた紙と非常用の500えん札(当時は札)とキャラメルがいつも入ってたよ。


"River"この時の鴨川の唄

植物園へと続くあの畔には、等間隔でベンチがあったり、たまにシーソーがあったり。草木や垣根など、緑も豊だ。歩いてる途中に「あ!」と言って爺ちゃんと繋いでた手を切って飛び出し、草木の中で一瞬跳ねたバッタやカマキリを目で追い「おじいちゃん見てて~!」と僕が身構え出すと爺ちゃんは石と木で出来たベンチにゆっくりと座り、セヴンスターに火を点けて一服する。割と背が高くてガッシリした爺ちゃんも、この時だけは、まんが日本昔話でキセルをくわえて畑仕事を休憩する可愛い爺様の様だった。

植物園の正門を過ぎても、あの大きな大きな滑り台(今はきっともう無い)までの道のりは長い、爺ちゃんは植物が大好きだからそれなりに色んな植物を見て回る。僕は植物はつまらなかったけど爺ちゃんの事が大好きだからひっついてるだけで嬉しかった。大きな熱帯雨林の植物を見上げながら、たまに爺ちゃんに甘えたりしてやり過ごした。

滑り台に着く頃、空には少しオレンジがかかっていた。滑り台の頂きを見上げると、まっすぐ見れない程の眩しい夕陽の中の世界から飛び出してくる様に、色んな親子や子供達が順番に滑り降りてくる。

僕は鼻と目と眉毛を眉間の交差点に集めて眩しがりながら、片頬をつり上げて一生懸命に目を凝らした。




$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba
鴨川の夕陽




僕は高い所が苦手だった(今も)あの滑り台はもの凄く高い。。それでもその滑り台を滑りたかった。爺ちゃん居るから大丈夫!順番が来て階段を昇る、みんなが小さくなって行く。本当は凄く怖かったと思う。でも「怖い」なんて言ったら爺ちゃんは可愛さ余って引き返すに違いない。。ゆくのだ!頂から滑り降りる時、実はあまりスピードは出ない。急斜面だが履いているズボンの素材によってはそんなに滑らないのだ。それでも爺ちゃんはなるべく速く滑ってやろうと手すりで懸命に加速してくれた。でもこれが「ギュッギュッ」と言った具合でイマイチ加速に欠けるのだ。でも爺ちゃんの膝の上に抱かれて、爺ちゃんの「ほ~い♪ほ~い♪ほ~い♪」というかけ声が頭の上から聴こえてきて、たまに爺ちゃんの顎のヒゲがジョリっとして僕は終始「キャッキャキャッキャ♪」笑ってた。爺ちゃんに抱かれるといつも仁丹とタバコの匂いがした。あとオッサンが使うトニックみたいなヤツの匂い。僕はあの匂いが好きだった。お爺ちゃんに抱きついた時の匂い。

僕は使わないが、ツアー中、スーパー銭湯なんかに行くと沢山ある洗面台の前に並んでるから、たまに手に取って蓋を開けてちょびっと匂いだりしてみる。別に匂いフェチじゃあ無いが、僕にとっては懐かしい爺ちゃんの香りがするんです。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



幼稚園の間は何度も何度も植物園に行った。小学一年生になっても爺ちゃんはしばらくは連れて行ってくれた。

小学二年生になっても僕は爺ちゃんと毎日の様に遊んでた。友達の家から帰った後に爺ちゃんとキャッチボールするのが日課だった。爺ちゃんが阪神と近鉄の大ファンだったから僕も大ファンだった。その後は一緒にお風呂屋さんに行ったり、小学生になってだんだん食いしん坊になってきて、間食や夜食を母に注意され出した僕は、夜中にこっそり爺ちゃんを起こして、音を立てない様にお茶漬け(義雄の美味しいスペシャルちりめんタマゴご飯の時もあった)を毎晩のように一緒に食べたり。

ある日僕は学校から帰ると、友達の家に遊びに行き、いつもの様にゲームをやってた。みんな面白いソフト持ってて僕は古いのしか持ってなくて「卓真は新しいの持ってへんのか?」と聞かれて、つい「家にあるで。。」と嘘を言ってしまった。「ほんまなん?ウソー!明日やりたいわー!持ってきてーや!」なんて事になり、後に引けなくなってしまった僕は、次の日学校から帰ると、爺ちゃんがまだ居なかったので、爺ちゃんのタンスの棚の財布からお金を勝手に取り出してイカワトーイに走って新しいソフトを買いに行った。

友達の所に持って行き、ひとしきり遊ぶと、自分が何をやったのか気づき、罪悪感とモヤモヤした小さな怖さみたいなモノが胃の奥の辺りに根を張った。

大好きな爺ちゃんの顔が、なんだか見れなくなってしまった。バレるのが怖いから少し会話も減った。

世界で一番大好きな爺ちゃんのお金を勝手に盗って使っちゃったという裏切りの罪悪感よりも、バレてしまう事自体が怖かった。爺ちゃんに対してぎこちない日々が過ぎていった。




爺ちゃんは胃潰瘍で入院した。




僕が幼稚園の頃、父ちゃんの兄ちゃん、和信おじちゃんは亡くなってしまった。その時は人の死に対して実感が無かった。でもいつもウチに遊びに来る時大好きなミニカーを買って来てくれたり、遊んでくれた和信おじちゃんが死んじゃったと聞いて、なんとなくもう会えないのは解ったんだけど、和信おじちゃんの奥さんと子供二人が取り乱してわんわん泣いているのを見て言葉も感情も出て来なかった。僕は何故か泣かなかった。死がなんなのかやっぱりよく解らなかったんだ。

あの病院の描写とあの悲しみに満ちた空間を思い出すと急に怖くなった。

もし爺ちゃんが死んじゃったらどうしよう。。

僕がお金盗ったからバチがあたったんや。。神様が怒って爺ちゃん連れて行ってしまう!ヤバい!

急いで病院に駆けつけた。広い部屋に入ると、クリーム色の何枚かのカーテンで左右五人ずつぐらいに仕切られていた。左の三人目ぐらいのところに「三田村義雄」の名札があった。
僕は泣きそうになりながらカーテンを開けた!

「お爺ちゃん!」

『おお!卓真やないかぁ!来てくれたんかぁ!』

『三幸も来てくれたんかぁ。すまんねぇ。。』

爺ちゃんは元気だった。。良かった。良かった。良かった。。

『二、三日したら手術や。簡単な手術やて言うてはったから大丈夫や。』

リクライニングしたベッドでポンポンと胸を叩きながら言った。あの気まずさも忘れ、久しぶりに爺ちゃんと前までと同じ様に話せた。やっぱり僕は爺ちゃんが大好きやと思った。爺ちゃんは僕の頭をワッシャワッシャかいぐって撫でて喜んでくれた。『今度久しぶりに植物園行くか!』

「ええ?植物園はもうええわ。。」僕はちょっと照れながら言った。本当は行きたかった。

『そうか!はっは!ほんならお爺ちゃんと美味しいウナギ食べに行こか!』

後から聞いた話やと、爺ちゃんはもうこの時、僕がお金を盗んでいた事を知っていたらしい。爺ちゃんはきっと、絶対に、バレてる事をバレない様にしてくれてたんだろうし、まずそんな事よりも僕が見舞いに来た事を本当に喜んでくれていたのが解った。僕は馬鹿だ。

数日後のある昼、姉ちゃんが玄関から二階に凄いスピードで駆け上がり切る前に「卓真ぁ!お爺ちゃん帰って来はったで!」と叫んだ。

爺ちゃんは退院して元気に家に戻って来た。良かった。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba 
爺ちゃんがいつも寝てた長いソファー。その前にある長いテーブル。テーブルの下には写真アルバムとかデッカい本なんかが置ける様になってる。左は爺ちゃん。右は「お祭りしたい!」と言った僕に爺ちゃんがねじりハチマキをしてくれたんだ。



退院して数ヶ月、胸に十字形のデッカい傷が残ったけど、僕はそれがちょっとカッコイイぐらいに思った。たまに傷跡が痒くなるらしく軟膏を塗ってあげた。生活は前のままで、爺ちゃんとのキャッチボールもまた始まったし、銭湯もまた一緒に行き始めた。


でも爺ちゃんは、なんだかよく昼寝をするようになった。


ある日爺ちゃんがリビングの長い方のソファーで横になりながら、阪神対巨人のテレビ中継を見ていた。阪神巨人戦は、いつもなら大興奮のカードだ。でも爺ちゃんはすぐ眠った。「最近疲れてるのかなぁ」と思って見ていた。

すると母ちゃんが神妙な顔つきで僕の所にやって来て、腕を掴んで二階へ連れて行った。

「痛い痛い!」

痛くなかったけどあんまり見た事ない顔つきと雰囲気がなんだか怖くてとりあえず痛がった。

「ちょっとそこに座りなさい!」

座って少し沈黙があって、なんとなく察しがついた。けど怖いから自分からは黙ってた。

「あんた、、お爺ちゃんの財布からお金盗ったねぇ。。」

もっと小さい時に、誰のお金か解らないが、居間に置いてあった千円を勝手に持ち出して、キン肉マンの消しゴムを買った事があった。その時は母ちゃんは鬼みたいな顔で怒って、僕の顔をメロンパンみたいに腫れ上がるぐらい何回もビンタして、父ちゃんには怒鳴られて一日中壁に向かって正座させられた事がある。

歯を食いしばってそれぐらいの覚悟をした。

すると母ちゃんはビンタする事も無く、怒鳴る事も無く、涙目で僕の目を寂しそうにじっと見た。母ちゃんが泣いてるのは和信おじちゃんが亡くなった時以来見た事が無かった。

「正座しなさい。。お母さんの目を見なさい。」

「あんたなぁ。。お爺ちゃんがどんだけあんたの事可愛がったはるか解るか?あんた小さい頃からどんだけお爺ちゃんに遊んでもろた?植物園、、何回連れて行ってもらったんや?お爺ちゃんは、お金が無くなった事は『おかしいなぁ』て言うたはったけど、まだ何で無くなったかは知らん。せやからアンタ、今からお爺ちゃんのとこ行って謝って返してきなさい。お母さんは二階で待ってるさかい。行っといで。」

リビングに降りると、爺ちゃんはまだイビキをかいて眠っている。爺ちゃんが寝てるソファの前にある長いテーブル。そのテーブルの下の付属の棚に、何冊かの古い写真のアルバム、爺ちゃんはいつもそのアルバムの一番上に、随分古くなった小さなワニ皮の財布を置いて寝てた。

僕は爺ちゃんが起きないように、まずは爺ちゃんの前までそろりと近づいていって横で正座した。五分くらい正座したまま何も言えなかったし何も出来なかった。ずっと好き合って仲良しの爺ちゃんに金を盗んだとどうしても言えない。僕は寝ている間に爺ちゃんの財布の中にお金を戻した。そしてまた迷った。起こそうか、、いや、出来ない、どうしよう、、結局そのまま十五分程動けなくなって、三十分程経って、結局謝る勇気が出ないまま、爺ちゃんが起きないように立ち上がってその場を立ち去ろうとした。すると背中越しに「ううん。。」と寝返り打つ声が聴こえて僕は飛び上がった。「ううん?誰やぁ?なんやぁ!卓真かぁ?どうしたぁ♪阪神やっとるぞぉ♪阪神♪」僕は「あ、うん!ほんまや!阪神巨人やん!」と言うと、爺ちゃんの向かい側で一緒に阪神対巨人を観た。爺ちゃんは今度は寝なかった。試合が終わると爺ちゃんはタバコを一本吸うと風呂に入りに行った。爺ちゃんはそのまま寝たから結局謝れなかった。

母ちゃんには「ちゃんと返したか?」と聞かれて「うん。返した。」とだけ答えて僕も風呂に入って寝た。うつぶせで枕に顔を押し付けて「爺ちゃんごめんな。」と何回か枕の中に言葉を吹き込んだ。

次の日から、また何事も無く日々は流れた。

爺ちゃんは相変わらず元気だが昼寝は日に日に増えた。

たまに胸の傷の辺りを擦りながら、「はぁ~いやい、、、」と微笑みながら小さく溜め息をこぼす爺ちゃん。「卓真こっち来~い♪」と行って横に座らせる。「なんか食べに行くか?」

『ううん、、いかへん、、』


少しずつ昼寝が増えていく爺ちゃんを見てて、僕は何かを感じ始めていたけど、そう思う度に「きっとそんな事はないよ。。」と心の中で呟いた。





$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba
大好きな爺ちゃん。




ある日爺ちゃんが「三幸さん。高折さん(病院)に入院する前に江戸前に連れて行ってくれんかね。」

「江戸前」は東大路北大路にあった爺ちゃんが大好きだったお寿司屋さん。

随分経ってから母さんに聞いた話だと爺ちゃんはもうこの時食べ物が食べられなくなってたみたいだ。けど入院前のこの日、ここのお寿司だけは少しだけ食べて「ああ~、、ほんっまに美味かったぁ、、三幸さん。ありがとう。」と笑顔で何度もお礼を言っていたらしい。僕は何故だったか忘れたけどこの場には行けなかった。これが爺ちゃんの最後の外食になったって。

今思えば、、母ちゃんは「お爺ちゃんにお金を返して来なさい」って僕に伝えた時、爺ちゃんの身体がどういう状態だったのか、全てを知っていたんだと思う。僕と大好きな爺ちゃんの事、きっと沢山考えた末、僕が意気地なしな事も知ってて、それでも謝りに行かせようと思ったんだ。そして爺ちゃんはあの時、実は寝てなくて、ずっとずっと僕の為に嘘のイビキをかいて僕が言い出すのを十分も二十分も待っていてくれたのかもしれない。


爺ちゃんが入院してすぐ、爺ちゃんの容態は急変した。母さんから家に電話があって「卓真か?お母さんは今迎えに行けへんけどなぁ!靖子おばさん(和信おじちゃんの奥さん)があんたの事迎えに行ってくれはるさかいそのタクシー乗って高折病院まで来なさい!すぐ用意しよし!」

ものの十分ぐらいで靖子おばちゃんが乗ったタクシーが来た。「卓真ちゃん!早く早く!」

タクシーの運転席の後ろからちょっと真ん中に身体を乗り出してじっと前を見てた。
すぐ病院に着いたけど怖くて入りたくなかった。でも靖子おばちゃんは大慌てで僕に肘を絡めたままお爺ちゃんの居る所まで連れていった。

お爺ちゃんのベッドは透明のビニールで囲まれてて中はなんか「シューシュー」鳴ってた。お爺ちゃんはリビングで話すいつもの口調で「は~いやぃ、、もうダメだなぁ、、」と何度かこぼした。僕は爺ちゃんは元気に見えた。いつも通りの口調だったから。目も開いているし普通にベッドの周りのみんなをゆっくり見回しては「ふ~い、、俺はもうダメだぁ、、」と呟いてた。でもイマイチ顔がよく見えない。母さんが「お爺ちゃん!お爺ちゃん!卓真来たえ!た、く、ま、来たえ~!」と呼びかけるけどお爺ちゃんは「ふ~い、、もうダメだぁ、、」と繰り返す。もう聴こえてなかったのかもしれない。母さんが僕の目を真っ直ぐ見て「卓真!お爺ちゃんの手握ったげなさい!お爺ちゃんベッドでずっと卓真卓真て言うたはったんや。」と言ってビニールの隙間からお爺ちゃんの手をそっと出して仲直りの握手をさせる様に、爺ちゃんと僕の手を持って僕をゆっくり引き寄せた。僕は未だに僕が何故そうしたか解らないのですが、僕はその時、そのお爺ちゃんの手の甲をチョンと少し触っただけでした。大好きで大好きで大好きなお爺ちゃん、、ビニール全部取ってすぐ抱きついて大声で泣きたかった。「お爺ちゃん」て叫んで叫んで思いっきり抱きつきたかった。でもみんなが居て、父ちゃんも栄子おばちゃんもみんな静かに爺ちゃんをじっと見て、そして爺ちゃんが痛く思ったら嫌やと思った。僕は泣くのを必死で我慢した。大人はみんな爺ちゃんに気づかれない様に泣いてたけど僕は我慢してた。でももう涙が出るって瞬間に走って外に出た。高折病院の下まで降りて、横に流れてた高瀬川の橋で一人で「爺ちゃぁん。爺ちゃぁん。爺ちゃぁん」て何回も繰り返しながら泣いた。しばらく泣いてもう一回部屋に戻ろうとしたら親戚のウチの誰かが何人か出てきて僕と姉ちゃんをタクシーに乗せた。栄子おばちゃんに「帰らへん!爺ちゃんとこ行く!」と言ったけどおばちゃんは何も言わず小さく微笑んで僕の頭をしばらく撫でてから運転手さんに住所を伝えた。


僕は帰るなり階段を駆け上がり、二階の自分のベッドで枕に顔を押し当てて「お爺ちゃん治れ!お爺ちゃん治れ!お爺ちゃん治れ!」ってずっと言い続けてた。二十分程したら姉ちゃんが部屋にやって来て「卓真。お爺ちゃん帰ってきたよ。」と僕に言った。僕は「ちょっとだけ良くなったんや!!!」と思って下に駆け降りた。親戚が全員居て玄関から俺の父ちゃんが爺ちゃんをおんぶして家に入ってきた。父ちゃん以外全員泣いてた。靖子おばちゃんがハンカチで口を押さえながら、絞り出す様な声で「卓真ちゃぁん、、お爺ちゃん帰って来はったんよ、、」と涙をぽろぽろこぼして僕に言った。お爺ちゃんは父ちゃんの背中で寝てる様に見えた。「わっ」と心の中に何かが溢れた。僕は全速力でまた二階のベッドに向かったけど階段の途中で全部溢れた。大声で泣き出した。階段の途中で座り込んでずっと泣いて、その次は二階のベッドで泣いた。下になんかに行けない。一生下には行かないと思った。泣き止んだ後もベッドの中で丸くなって出なかった。夜になると僕はようやく降りて来た。母さんが笑顔で優しく言った。「あんた。お爺ちゃん寂しがったはるえ。早よ行ったげなさい。」

何も変わらない爺ちゃんが居た。リビングで阪神の試合を観ながら居眠りする爺ちゃんの顔と何も変わらなかった。

何時間もずっと爺ちゃんの横に正座して座ってた。空手道場に通ってた僕は何時間でも正座できた。爺ちゃんは岐阜の大会に応援しに来てくれたなぁ。。「卓真~!ボエ~ンッ!とやっつけろ~!」が口癖だった。栄子おばちゃんが心配になって居間から隣の爺ちゃんの部屋にやって来た。

僕の横に並んで正座して、一緒に爺ちゃんの顔を見ながら「卓真ちゃん。そんなとこでいつまでもずっと泣いてたら、お爺ちゃんきっとアンタの事『心配や』って寝られへんえ。。こっち来ておばちゃんとお寿司食べよ。ほら。卓真ちゃんの好きなイクラぎょうさんあるえ。」僕は栄子おばちゃんにちょっと笑って見せて、結局居間には行かへんかった。

すると一時間程して今度は母ちゃんが来た。「お爺ちゃんはなぁ。どんな事があってもアンタの事見守ったはる。どんな時もアンタの守り神になって側に居はる。ず~っと一生守ってくれはるわ。。さぁ。。居間でお爺ちゃんの好きやったタマゴかけ作って食べよ。お爺ちゃんも一緒に食べはるわ。食べたらまたこっちへ戻って来たらかまへんさかい、ほら、一回こっちへおいで。」

僕はお母さんと栄子おばちゃんと三人で、お爺ちゃんが好きな味つけのタマゴかけご飯を食べた。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



ここまではもの凄く鮮明に覚えているけど、ここから先のその夜の事はあんまり覚えていない。

きっと僕はその後もず~っと爺ちゃんと居たに違いない。

爺ちゃんは今も側で見守っているに違いない。

僕の大好きな義雄お爺ちゃんのお話はこれぐらいにしときますね。

僕はあの時、何故大きな声で泣いてお爺ちゃんの手を握って、お爺ちゃんに抱きついて泣かなかったのだろう。今でもそれを悔いています。僕にもう少し勇気があれば、僕にもう少し愛があれば、僕にもう少し強さがあれば、僕にもう少し思いやりがあれば、人が誰かに本気で想いを伝える時、本気で愛を伝える時、勇気を持たなアカン。勇気の上にその想いを乗せて伝えなアカン。小さくてもいい、不格好でもいい、間違えてもいい、ドジ踏んでもいい、笑われてもいい、勇気の上に本当の気持ちを乗せて伝えなアカン。真っ直ぐに。

そして、例えそれが出来なくて悔いになったとしても、ずっと悔いを悔いのままにしてちゃいけない。「悔い」は「勇気」の原石だ。勇気の理由になってくれる。僕が小さな子供の時、今よりもずっとずっと純粋で純白な子供の時、僕の心にはとても深く大きな悔いが焼きついた。それが深く大きな勇気に、今も少しずつ変わっていきながら僕と共に生きていると信じてます。勿論これからもずっと。家族を励ます時、友達を助ける時、恋をする時も、どんなに恥ずかしくても、後々笑われる事になっても、悔いが教えてくれた勇気の上に、あなたの大切な本当の想いを乗せて、、




$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba




この日からすっかり元気を無くしたクチビル少年を元気づけようと、その両親がある日連れて帰って来た犬、ジロ。ジロは15年生きた。10-feetの三人で上京して東京で生活していた時、ジロがもうダメかも知れない、と聞き、その時続いていたツアーのファイナルを終えてから帰ったが、ジロは僕が京都に帰った一日前に死んじゃって、既に埋葬されて、家にゲージだけが置いてあった。

ジロは死んでしまう一年程前から足腰は弱り、白内障は進行し、耳は遠くなり、抱いてやろうと触った瞬間いつも「ビクッ」と驚いて「キャンッ!」と泣いた。きっと声も聴こえなくて、抱こうとする手も見えないから突然身体に触れる何かが怖かったのだろう。目は恐らく部屋の明かりがぼんやりとしているぐらいだ。抱き上げてやると震えながらクンクン僕の身体を匂いで、やがて僕と解るとゆっくりとシッポを振り始める。さらに鼻で僕の顔を探して見つけると。「ありがとう。」と伝える様に僕の顔をゆっくり二、三度舐めた。僕はこの時期からなんとなくジロの死期を感じていた。爺ちゃんが亡くなってから笑顔が無くなった僕に笑顔と安らぎを運んで来てくれたジロ。毎朝起きる時間になると姉ちゃんが僕の部屋にジロを放り込む。するとジロがすっ飛んできて大喜びで顔を舐めてくる。舐める速さ、シッポのブンブン、鼻息、笑っちゃうくらいの高揚感が伝わってくる。感情表現が解りやすいヤツだった。ずっと相棒だった。僕が落ち込んでいるとソロリと顔色伺ってくるので僕が変顔で「ニコッ!」っとするとすっ飛んで来て舐め回す。「遊ぼ!遊ぼ!」っといった感じだ。東京での音楽生活は決して楽なモノじゃぁ無かった。まばらなライヴスケジュール、ツアー、バイトはなかなかままならない、上京したてで友達は居ないし、ライヴやっても三人から五人しかお客さんも来ないし、お金も無い、実家にも帰れないし、みんな当時付き合っていた彼女にも会いに行けなかった。彼女が二ヶ月に一回程東京に来てくれてその時会えるぐらいだった。メンバー三人揃って10kg痩せた。顔もコケてげっそりだった。


そんな中実家に帰れる機会なんてのは半年に一回あるか無いかだ。ジロがもう長く無いかもしれないと聞いてから一ヶ月、ツアー中でスケジュール的にも金銭的にも帰れる気配は無かった。ジロの事を思い出してやる事と、ジロがなんとか今の状態を乗り越えて長生きして欲しいと、東京は駒沢の三人暮らしのマンションの一室、ツアー先から祈るしか無かった。そんな中姉ちゃんから突然電話がかかってくる。「あんたの口座にお金振り込んだから日帰りでもええからジロに会いに行ってやり。」と、姉は派遣のアルバイトをしていたが、そんなに収入がある訳では無かった。でも少し貯めてはすぐ東京の僕に送ってくれていた。僕はチビの頃から姉ちゃんが大好きだ。今も姉ちゃんには少しずつ返している。でも姉ちゃんは「アンタのギターのお金とかにしー!」とかなんとか言っていつもなかなか受け取らない。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba 厳しくて怖かったけどホントはすごい優しい姉ちゃん。


数日後、ツアー最終日を終えて、姉ちゃんに貰ったお金を握りしめて京都にすっ飛んで帰って、ジロの居ないゲージを静かに見つめて「ジロありがとう。爺ちゃんありがとう。」と何度も心で呟いた。ジロがいつも通り使う筈だった奇麗なままのトイレシートにポタポタ涙が落ちた。

何故「ジロありがとう。爺ちゃんありがとう。」なのか、、

死期を感じ始めたあの一年前のその日から、ツアー中で京都に帰った時は、何度も何度も抱いて、何度も何度もキスして、ジロは歩けないから何度も抱いて散歩した。いっぱいいっぱい愛した。

一年前、ジロが弱り始めた時、僕は爺ちゃんの手を思い出したんだ。勇気が無くて握ってあげられなかったあの優しい大きな手だ。爺ちゃんの手を握る様な気持ちでジロを愛した。「もうお年寄りやから、外も寒いしゆっくりさせたげなさいな。」と母ちゃんが言っても迷わず抱いて散歩に行った。ジロはちょびっとだけシッポを振って機嫌が良さそうやった。。と信じたい(笑)本当は「このやろー!寒いべ!これ絶対年寄りには寒いべ!シッポ振るけどよ~(笑)」と思っていたかもな(笑)

この時、爺ちゃんとお別れの時に僕が背負った悔いが、悔いなだけじゃぁ無くなった瞬間だった。ただ、完全に悔いじゃ無くなるわけじゃぁ無い、悔いな「だけ」じゃぁ無くなったに過ぎない。でもそれでいいんだ。その方がいいんだ。僕には勇気も愛も優しさも強さも、まだまだ足りないのだから。

別れの時、恋をする時、誰かを勇気づける時

恥ずかしくとも勇気を出す事、勇気の上に自分の気持ちを乗せて伝える事、メールでも電話でも手紙でもなんでもいい、その時に一番伝わる方法を一生懸命自分で考えて伝えるんだ。

「ここぞ」という大きな人生の分岐点はそんなに無い。その時が来たらどうか勇気を出して悔いの残らないように、悔いだけが残らないように、皆が想いを勇気に乗せて叫んで生きていけたらなと、要らぬお世話を綴り、願ってます。


僕が歌う理由、歌を作る理由



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



皆に幸せを掴んで欲しい理由、自分も幸せになりたい理由、、過去のいろんな出来事から生まれています。そして未来からも新たな理由がずっと生まれ続けてゆくと信じています。どんなに笑われても。クソ真っ直ぐに、時にはシャレを大切にしながらふざけ倒し、そのバランスの割り合いを自分らしさとして、面白おかしく生きてゆきたい。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



一生も、一日も、結果がどうであれ精一杯、誠実に、時にはシャレを織り交ぜて傑作にしていきたい。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba


今日という日はまだある。どんな事があっても明日はやって来る。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



未来に素敵な想い出を吹き込んであげる為の大小の勇気を。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



そこに笑顔と活気をもたらす仲間、安らぎを与える家族や恋人。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba



愛するペット達。



$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba




今日もなんか一つでも良い事あるといいね。


おわり








$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba


p.s
京都にブッシュマンという先輩のバンドがあって、ジロが死んだ時、悲しくて寂しくてブッシュマンのギターボーカルのタダシに電話をした。タダシも愛犬家で、昔大好きな犬が死んだ時の事を話してくれた事があったから僕も報告しなきゃと思って電話をした。「タダシ、ウチのジロが死んでしもたんやけどツアーファイナルが終わって、次の日急いで帰ったんやけどファイナルの日に死んでしもたみたいや」と伝えた。僕はまだジロの事では泣いていなかった時だった。ジロとの付き合いも長過ぎ、悲しすぎて実感が無かったから。タダシは言った。「もう結構前から弱っとったんやろ?半年に一回ぐらいしか帰れへんタクマをファイナルまで待っとったんやなぁ。頑張りよったなぁ。」そこで電話越しに全部溢れて大泣きしてしまった。ブッシュマンのタダシも優しくていいヤツなんだなぁ。曲もカッコイイしみんな見かけたらチェックしてみてね。


$10-FEET TAKUMAオフィシャルブログ Powered by Ameba
"see you"は爺ちゃんの唄