ボランティア活動を仕事と表現することは別に問題ない | 世の中とかなんやかんやに対する感想

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できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

PR会社の社長がボランティア活動を仕事と表現したことで「業務だから報酬をもらっているのではないか」と郷原弁護士はYOUTUBEのインタビューに答えていました。それ以前にもいろんな人がそう言っていました。東国原英夫もそのうちの一人です。

 

とはいえボランティアを仕事と表現することはあり得るでしょう。

 

エホバの証人は正規開拓者を全時間奉仕者と表現しますが、全くの無報酬です。しかしながら「開拓奉仕を生涯の仕事としましょう」などという言葉はよく聞しましょう

 

また別の人は「開拓奉仕は私の稼業みたいなものだ」と言っていました。もちろん無報酬です。

 

おそらく人によっては自分が生活の中心に置くことを仕事と表現することはあるものです。

 

実際専属主婦の家事一切は、主婦の仕事と表現されることもありますが、無報酬です。

 

したがってPR会社の社長が仕事と表現したからと言って報酬があると決めつけるのはいわば言葉刈りです。

 

東国原は社長の「また」という言葉にもこだわっていました。これにしても、例えば芸能人が誰かと共演した時に「また今度食事しましょう」と言ってもそれは単なるご挨拶にしかすぎず、そのことで「あの人はあのように言ったが未だ誘ってくれない」と本気で非難するとすればむしろ世間の常識を知らない言葉刈りです。

 

事前の約束があった寄付行為だとみなす向きもありますが、長谷川豊が言ったように織田氏が引き受けた時点でも斎藤知事の勝ち目は限りなくゼロに近いものでしたので捨て身の戦いだったので実現性は極めて少なかったはずです。だから勝利が奇跡であり、それに舞い上がったのでしょう。

 

いずれにせよ、「仕事」という言葉を取り上げて報酬があったと結論付ける人は、自分自身が金でしか動かない人間であることを証明しているようなものです。