独裁国家の御用弁護士のような亀井弁護士と若狭弁護士、および御用メディアの怖さ | 世の中とかなんやかんやに対する感想

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できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

PR会社の社長が斎藤知事の当選の第一貢献者のような自己の働きをアピールしていた。

 

しかし実情は第一貢献者は立花孝志だろう。

 

次のように考えればいい。

 

①立花孝志がいなくてPR会社だけのSNS活動と②PR会社がいなくて立花孝志のSNS活動

この二つを比べてみた場合どちらが斎藤候補が知事になっていただろうか。

 

おそらく②だろう。つまりPR会社がいくら熱心に活動していても、立花孝志がいなかったら斎藤陣営は勝つのが難しかったということだ。実際斎藤知事の得票数は、稲村候補+清水候補の得票数よりは劣る。バカで単純で愚かなメディアは、宮根誠司の「大手メディアの敗北」という言葉をうのみにしているが、斎藤知事の得票数が過半数を超えなかったことから考えれば、県民の過半数は斎藤知事を否定したのだから、決して敗北したわけではない。メディアは「10万票もの差をつけた斎藤知事の圧勝」と報じるが、NHKがなかなか当選結果を出さなかったことから見ても個人的には薄氷の勝利の感がぬぐえない。

 

さて立花孝志がいなかったら、県民は百条委員会の意向に沿ったメディアや斎藤知事断罪を決めつける亀井弁護士や若狭弁護士の言葉を信じて稲村候補に投票していただろう。

 

これが実に恐ろしいのである。

 

例えば独裁国家においても「民主的裁判」は行われる。ロシアではナワリヌイも裁判で有罪判決を受け、極寒の地に送られてそこで命を落とした。手順としては、法の番人である司法の裁きを受けたのであるが、おそらくナワリヌイ有罪を最初から決めつけた国家の御用弁護士がナワリヌイの有罪となる「証拠」を並べ立て、正当性を装って粛清したのであろう。

 

このように弁護士がいったん被告を断罪した場合、それを巧みな弁舌を用いて正当化するのは独裁国家においてよく見られることである。

 

若狭弁護士は元検事であるがゆえに、犯罪者に対する視点は相当狭くて厳しいものである。実際彼がメディアで用いられるのは、罪を犯した人間を厳しく断罪するのでその正義感が同調し、留飲を下げることができるからだ。しかしながら政治関連での若狭弁護士の発言は仮定に基づいた空論を展開し外れることが多い。

 

 

権威者が失職するといえば、権威に対する不安を持つ反体制派は飛びつくが、実際は内情を詳しく知らないで持論を展開する。

 

しかしこのような人が体制派の御用弁護士になると、無力な反体制派を有罪にするためにあらゆる推測を駆使し、いわば出路げることも行うし、それに沿った仕方でミヤネ屋のような御用メディアが国民を洗脳するだろう。

 

亀井弁護士は野村弁護士に詰問されたときに「言論の自由を侵害する」と捨て台詞をを残したが、その言論の自由を思う存分発揮して、斎藤知事のオネダリ疑惑やパワハラを既成事実化のように報道し、視聴者を誤導したのがミヤネ屋はじめオールドメディアである。彼らはその言論の自由の行使の仕方を反省したのではないか。野村弁護士はそこを指摘したのに反省の様子を亀井弁護士は示さなかった。亀井弁護士は自分が何を言っているのかを客観的に見る力はない。

 

弁護士は言葉が巧みである。法を駆使して相手を断罪する言葉を操ることができる。

 

宗教2世問題を扱った弁護団も同様である。彼らの多くは信教の自由を真に理解していない。宗教弾圧をする独裁国家の御用弁護士のにおいがする。