これではっきりしたのは公開できるスクショなど最初からなかったということ | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

あれだけスクショ公開すると脅迫して私の言論の自由の権利を押さえつけようとしたのに、じゃいざ公開してくださいというと論点をすり替えウナギのように逃げ回る。

 

これではっきり分かったのはそのようなスクショなど最初からなかったということです。ないから出せないのです。

 

なぜ私が余裕で公開してくださいと言えたかわかりますか?

そのようなことなどしていないからです。

 

まあそれでも公開するスクショがあるなら、その間違いを指摘する証拠もこちらは持っていますのでいくらでも訂正できました。

だってそのようなことなどしていませんからね。

 

しかし質(たち)の悪いことに持っていないのにもかかわらずいかにも持っているかのようにふるまい、

「スクショ公開」と言えば相手を黙らせることができると思っているのです。

 

それこそありもしない虚偽を使って相手を脅し、そして相手の言論の自由を押さえつけようとするのはまさに反社会的集団に属するかのような資質ですね。

 

指でピストルのマネをして相手の口を押さえて黙らせ、何らかの危害を加えようとする幼稚な脅しでして、相手に見破られると叩きのめされるでしょう。

 

あなたはこう書いています。

 

いつまでも同じ論調で私達を叩くのはおやめいただきたいものです。それと常に先制攻撃をして来るのは桶のひとしすぐ

の方です。

 

あなたの脅しの目的は私の言論を封じようとすることであることが明らかになっています。

 

さらに

事実に基づかない憶測で批判や話しを盛るのはおやめください。

 

と書いていますが、どの言葉が事実に基づかないのでしょうか。すべてあなたの書いた記事の基づいていますけどね。この種の非難の特徴は具体的反論をしないで、非難の言葉を多用することで自分の正当性を訴えようとするのですが、それはぜい弱な論です。

 

このように私の言論を封じ込めようとするのはあなた自身も実は反論できないほど私の書いていることが理にかなっていることを認めていることになるのです。認めているから反論できない、それで最後は脅すという手を使うのです。

 

実名顔出し大いに結構。どんどんおやりなさい。

ただそれは勇気を持っているからか、それとも自己顕示欲を満足させたいためであるかの判断は難しいでしょう。

何しろメディアに出たがる人間は一般人でも多いからです。

これは今メディアに出ている元エホバの証人がそうだと言っているわけではありません。

潜在的にいる可能性について書いているだけです。

 

ただし実名顔出しをするからと言ってその人の話すことがいつでも道理にかなっているわけではありません。

当然のことながら世間の批判の対象になります。

メディアに出るということはそれだけ反響もあることは予期すべきことです。

 

その反響には考慮を払うべきものもあれば、芥のような罵詈雑言もあるでしょう。

 

ですからその主張に不備があれば、私はこれからも指摘します。

 

それは組織を批判する手法をより洗練するためのものです。

 

もし私が田中弁護士やアーカイブ団体の問題点について記事を書くことが問題なら田中弁護士が私に抗議すべき問題です。外野が騒ぎ立てるものではありません。

 

もしあなたが気になるなら田中弁護士に訴えて、私を黙らせてください。でも田中弁護士はご自身の職業倫理から見て私の言論の自由を侵害することはないでしょう。私はあくまでも田中弁護士の矛盾点について書いているからです。あなたの提案には乗らないでしょう。

 

田中弁護士はIMブログでは時々「皆さんは私の記事についてどう思われますか」と読者の反応を気にしている記事もありました。当然ご自身に対して肯定的な答えばかりしかないということをよもや期待はしていないでしょう。

 

例えば私が田中弁護士やアーカイブ団体の人たちに、死ねとかいうようなことを言ったのであれば問題でしょう。しかしそんなことは言っていませんし思ってもいません。彼らの名誉を傷つけることも意図していません。とはいえメディに出る影響力を考えると両論併記的に視聴者が判断できる素材は必要だと強く考えています。

 

一方で批判を受ける組織には現役信者も多くいて、そして各自は人間として心を持っています。その人たちの心を必要以上に傷つけることを組織を批判する側が持っていいとは思ってません。現役信者自身までを含むような批判は避けるべきだと思っています。一方で指導的立場にいる人には徹底した批判が必要です。キリストも一般信者と宗教指導者は区別していましたからね。