前記事でも触れましたが、ハルマゲドンの教理は、それまでの自分の価値観をすべてひっくり返すほどのものでした。
これは1世と2世の決定的に違う点の一つです。
1世は人間は死ぬものだと思っていましたし、世間にはびこる悪はなくならないと思っていました。
私は中学生のころに道を歩いていて恐喝’カツアゲ)に2回遭いました。わずかとはいえ金をとられ、殴られました。見知らぬ相手に反撃することができませんでした。
はっきり言います。「こんな連中死んでほしい。」と思いました。2世の人たちでそういう経験をした人がいますか?確かに監視社会だったとはいえ、だからこそ交友関係では守られそういう場面に遭遇する可能性は低かったのではないでしょうか。
何事にも裏と表があるのです。裏ばかり見ていては判断を誤ります。裏が精巧に印刷された紙幣でも表が白紙ならば、それは偽札です。エホバの証人社会の裏ばかり見て物事を判断するのは、偽札を使って物が買えると思っているようなもので愚かです。
1世は表の良い面ばかりを見ていて、一部の2世は裏の悪い面ばかり見ていて相対するので相いれない場合もあるのです。しかし本物かどうかは両面の印刷を見て判断しなければならないのです。私はその必要性をこの10年ずっと主張しています。全体像を正しく判断するためには両方を視なければなりません。NHKは宗教2世の、裏の面ばかりを世間に示しているので有害な番組作りをしたのです。
まあ、学校でいじめられた2世の中にはいじめる連中が死んでほしい、と思ったことはあると思いますけどね。
世の中では暴力団の抗争などもあり、日常生活を脅かす人間は一定数いました。身近な悪がなくなってほしいと思っていました。前にも書きましたが、世界は第三次世界大戦の危機をはらんでいました。
「悪い奴らはみんな死ね」と思いました。
ですからハルマゲドンでそういうやつらが拭い去られてほしいと心の底から願っていました。
ただそれはまだ世の中の実情を知らない全く未熟な考えでした。
ただ問題は、ハルマゲドンで死ぬのは、そういう刑法違反の悪人だけではなく、エホバの証人ではないというだけの理由で極悪人扱いをされ、滅ぼされるということでした。これは受け入れるためには自分の心を殺さねばなりません。自分で自分をサイコパスに仕立て上げなければならないのです。
伝道はそういう矛盾を自分への言い訳に行っていた気がします。「伝道して聞く機会があるのに聞かないのはその人が悪い。でもだからこそ伝道するのだ。」ということで気持ちの整理をつけていた気がします。