1世紀のユダヤ教指導者はキリストを刑柱に掛けることによってあからさまにキリストを退け、排除しました。ですからわかりやすいですね。
ところが当時のユダヤ教から見れば異端であるものみの塔指導者層は、1世紀のユダヤ教指導者よりも非常にわかりにくい形でキリストを退けています。
「桶は何をバカなことを言っているんだ?」と思う方もいるでしょう。
ところがこの「表面的にはキリストを高めながら、実質的にキリストを刑柱に掛ける」という極めて識別しにくく、わかりにくい形でキリストを退ける者たちが出てくることをすでにキリストは予告されていたのです!!
それがマタイ7章21-23節なのです。
統治体が改ざんし、日本支部翻訳部門が作成し、スティーブンレットも乳井健司も今現在、信者を導くために使っている新世界訳聖書から考察します。
私に向かって『主よ,主よ』と言う人全員が天の王国に入るのではなく,天にいる私の父の望むことを行う人だけが入ります。 その日には,多くの人が私に向かって『主よ,主よ,私たちはあなたの名によって預言し,あなたの名によって邪悪な天使たちを追い出し,あなたの名によって多くの強力な行いをしなかったでしょうか』と言います。 その時,私ははっきり言います。『あなたたちのことは全く知りません。不法なことをする人たち,離れ去りなさい!』
エホバの証人の宗教活動を行っていた時、この言葉はキリスト教世界に適用されると思い込んでいました。
ところがこの言葉が山上の垂訓で語られた背景を考えてみてください。この言葉はユダヤ教体制にあった人たちに語られたのです。
つまりユダヤ教体制で、キリストを受け入れた人たちの中に、口ではキリストをあがめながら、キリストの言葉を軽んじ、実質の伴わない場合、不法を働く者たちと言われるのです。
背景を含めこの予言がど真ん中ストレートに当てはまるのはエホバの証人をおいてほかにありません。キリストは21節で天にいる私の父の望むことを行う人という表現を使うことで、三位一体の教理を否定しています。三位一体を信じる人はこのキリストの言葉を理解できないでしょう。それは三位一体の教理が論理的矛盾をはらんでいるからです。
あくまでも天の父を信じながらキリストの言葉を軽んじている人に対してキリストは警告を与えました。では今日キリストを高めながら三位一体を信じないで、キリストの父を信じる宗教は何でしょうか。
それがエホバの証人なのです!ですからこのマタイ7章の聖句はエホバの証人への警告なのです。
神の御意志はキリストを通して語られるので、そのキリストよりも自分たちを高めることで統治体はキリストを刑柱に掛けたのです。