少し前に、私は今、死の病と闘っている方々やそのご家族の闘病記を読んでいます。
私たちはその方々を個人的に知っているわけではないのです。ごく普通の方々です。あるいは個人的に知れば、すべての方が善人であるとは言えないでしょうし、肌の合わない方もいるでしょう。
しかしコメント欄を見ているとほとんどすべの方々が或いは個人的にそりの合わない人であるかもしれないという可能性もありながらも、今当座、苦しんでいる方への愛や気遣いにあふれています。
また自分とは異なる思想、信条を持っているかもしれませんが、励まそうとしておられます。
アガペ愛ってそういうものなのでしょうね。
復活の希望を信じているエホバの証人はだからこそそういう方々に対して聖書を学んで前向きに生きてほしいと思い伝道しています。
ここまではいいのです。ここまでは問題ないのです。
ところがエホバの証人は、そういう人でも聖書の言葉に耳を傾けない人に対しては、一気に気持ちが覚めるのです。
そしてたとえ耳を傾け、信者になっても、組織の醜くて汚い部分を知って批判しようものなら、、そういう人の希望を踏みにじる排斥処置を平気で行います。人の命を軽んじている指導をするのが統治体であり、それの徹底履行を行わせるのが日本支部です。
信者のアガペ愛を利用し、そしてそのアガペ愛を醒めさせるのです。
そしてそれを恐れる人の思いを利用して組織の集金システムの貢献させようとし、その財布からお金を搾り取ろうとするのです。
このようなことを行わせる組織の指導者層は、鬼畜であり、プーチンであり、スターリンであり、毛沢東であり、ヒトラーであり、大本営であり、サイコパスであり、悪魔であり、サタンです。
仮にもし排斥になった元信者が死の床で苦しんでいても果たして深い悲しみを持って見舞いに行くでしょうか。その人に対する慰めの言葉をかけるでしょうか。長老はそれを許可しますか。
宝石さんのブログでは、死の床にあった女性信者に対する長老と仲間の信者はその種のアガペ愛は持っていないことを示しています。エホバの証人が侮蔑している世の人以上に侮蔑される精神を日本支部は信者に養っています。人間でなくなっています。
悪です。これは論評です。