カルタの中でも書きましたが、統治体、そして日本支部は特殊詐欺犯であるルフィよりもはるかにましだと思っているとしたら大きな勘違いです。
日本支部は凶悪犯罪者よりも、神の目から見ればはるかに邪悪です。
キリストの時代でも、キリストとともに刑柱に欠けられた凶悪犯はいたのです。殺人や強姦事件もあり、詐欺師もいたでしょう。しかしキリストはそういう人のところにも出かけました。
一方キリストは当時の宗教指導者を、そのような凶悪犯よりも厳しく激しく糾弾しました。「偽善」という概念を初めて明らかにしたのはキリストだと言われています。というのも当時の宗教指導者はイスラエル国民から見れば尊敬の対象でした。誰も彼らを悪だとみなしませんでした。
だから山上の垂訓を聴いたときに、本当の悪とはどういうものであるかを人々は知ったのです。それまで敬虔な様子を示していた宗教指導者が善だと思っていたものが実は悪だということに人々は知ったのです。だからキリストの言葉は衝撃的だったのです。誰の思いにも浮かばなかったことなのです。
例えば仰々しい言葉で長々と祈る行為をキリストは戒めました。しかしそれまではそういう祈りをする人は敬虔な指導者とみなされていたのです。それを打ち砕いたのがキリストの言葉でした。そういう偽善者を見極める数々の兆候をキリストは示したので、そのすべてに該当する統治体と日本支部は邪悪であると言えるのです。統治体成員が自分たちがキリストの代弁者だといくら主張しようが、キリストの基準で見ればそのような言葉はたわごとにしかすぎないのです。
振り返って考えれば大会などで5分以上にも及ぶ祈りでうんざりした人もいるでしょう。そういう祈りをする人はたいていバカです。聴衆が目をつぶって祈っているとゆらゆら揺れていることにも気づかないで、自分の敬虔さを見せつけるために祈るのです。
それはキリストの戒めた祈りです。
キリストが宗教指導者を厳しく戒めたのも、彼らが神の名をかたって、神の名を汚していたからです。私がエホバの証人になったころ、ものみの塔の出版物が偽りの宗教の世界帝国の主要部分だと激しくその罪をあげつらったのがキリスト教世界でした。イスラム教でも仏教でもありません。
その理由は「キリストの名を掲げながらキリストの名を汚し、またエホバの名を用いていないからだ」ということですが、エホバの証人統治体はエホバの名を掲げながらエホバの名を汚し、また日本支部広報も大いなるうそを吐き続けてエホバの名を汚しています。
ですから統治体と日本支部は凶悪犯罪者よりも、神の目から見ればはるかに邪悪で悪辣で、もしキリストが今地上に来られると、1世紀よりもはるかに厳しい言葉で統治体と日本支部委員5人衆を徹底的に糾弾したでしょう。
キリストのその邪悪さを指摘されたときに宗教指導者はキリストを殺害しようとしました。スティーブンレットもそうですね。彼の背教者に対する憎悪感情は1世紀の宗教指導者がキリストに抱いた憎悪感情と同じです。1世紀も彼のような醜い表情で嫌悪感を周囲に与えていたのでしょう。
さて自らの偽善を指摘されてキリストを除外しようとしたユダヤの体制は、その冒涜的態度ゆえにその後の反ユダヤ主義の根拠となっているのです。であれば統治体も日本支部も今後非常に厳しいいばらの道を歩くことになるのです。もしハルマゲドンが到来すれば、真っ先に滅ぼされるでしょう。