約50年前のハイジは、ドラマとして全く色あせることはなく、むしろ改めて多くの感動を与えてくれました。ハイジが様々な人と出会い、そして別れ、その中でいつも相手を気遣うさまを見るたびに涙が溢れます。
フランクフルトでの生活はつらいものでしたが、特におばあさまがいなくなってからは実放送では約1か月。この間視聴者も同じように滅入る気分でいたことでしょう。
ですからハイジがアルムの山に戻り、そしてクララが歩く場面までの怒涛のように流れる幸福のシーンの連続は以前はただよかったなあと思う程度でした。でもったとえば山へ来たクララがペーターのおばあさんに詩集を読み、自分が人の役に立っているということを知って泣くシーンは号泣しました。
自分が人の役に立っているという実感は人を幸せにします。こういうドラマは本当に心が洗われるものです。
そして一方、ものみの塔のことを考えると真逆の感情が起こります。支部委員たちもかつては人の役に立ちたいと思っていたことでしょう。しかし支部委員になることで統治体の奴隷になり、人の役に立つどころか、人の苦しみを増す、人の心を痛めつける存在になりました。そしてますます人の心の痛みを増幅させるだけの存在になりました。
今おそらく彼らはハイジを見ても感動することなどないでしょう。むしろ組織崇拝のための時間が奪われるとか言って見ないでしょう。
人間としての心を完全に失った組織崇拝者がいかに醜く、汚れて、醜悪であるかがよくわかります。霊的がん細胞の原発巣が支部委員なのです。人間として終わっています。