「どうする家康」私は面白く見ています:さすがの古沢良太脚本 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

「どうする家康」があまりにも史実とかけ離れているので、あちらこちらの識者や学者などがいちゃもんをつけています。

 

まあ瀬名(築山殿)に有村架純を抜擢した以上、いわゆる伝えられている築山殿像をどう描くかに興味がありました。一般的には築山殿は悪妻の象徴ですからね。それを有村がするとなれば、悪女イメージだと相当視聴者の反発を買うだろうなと思っていました。ところが瀬名の目指したものは、それこそ家康の旗印の「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」であり、それこそ瀬名と家康が若いころから二人で目指した理想であり、瀬名はそのために武田側についたということで、だからこそ家康は信長を殺す決意をしたのです。

 

信長を殺すという家康の決断は、単に妻子が殺されたという恨みではなく、瀬名とともに目指した理想郷は信長では達成できないという政治的理由による決断でした。この家康の理想はやがて秀吉を倒し、「元和偃武(げんなえんぶ)」をもたらします。偃武とは武器をしまうことです。

 

おそらくドラマの最終部分で、秀吉を倒した家康は、瀬名の意図した理想郷を思い出し、瀬名に向かってその実現を果たしたことを語り掛けるのではないかと予想します。「瀬名、これでいいか?」という具合です。

 

史実とは違うという声もありますが、古沢は史実を古沢独自の解釈で脚本を書いています。時代考証など全くしない「麒麟がくる」とは大違いです。

 

 

私が麒麟がくるについての批判記事を書いた時に、オフ会情報漏洩の裏切り者ブロガーの元長老空(まったく元長老と言ってもろくなものではない一例です)が私をボロクソに批判しましたが、麒麟がくるの場合は根本的に史実や時代考証を無視していましたし、なにより脚本そのものがつまらなかったのです。

 

それに引き換え古沢良太の場合、やはり脚本家の力量というかさすがにリーガルハイ(TV版)や、かつての相棒の常連脚本で、ドラマを面白くするコツを知っています。

 

今まであまり注目を浴びなかった、夏目広次の忠心ぶりは、家康がなかなか広次の名前を言えないことをユーモアを交えて描きながら最後の最後でその理由がわかるという見事な描き方でした。配役が甲本雅裕という一流の脇役をあてがっただけあります。三方ヶ原の戦いは第17回第18回と二週にわたって放映されましたが、この時の脚本は、まず結果を示したうえで、改めて時間をさかのぼって巻き戻す手法です。ちょうど相棒8の「右京、風邪をひく」、11の「BIRTHDAY」12の「待ちぼうけ」など古沢得意の手法で、真相がわかったときに感動するというものでした。

 

第21回の武田勝頼との長篠合戦では、味方の指揮を大いに盛り上げた鳥居助右ヱ門の忠誠ぶりもまた感動的でした。蔑まれていた下級武士の心意気を感じさせるものでした。

 

ムロツヨシの秀吉は最初の登場した時点でそのあからさまな平身低頭ぶりがいかにも心に秘めた恐ろしさを表しているようで登場したときに、適役だと感じました。ムロツヨシは名優です。

 

信長の光秀への打擲は、光秀が家康暗殺を家康に見破られるという不出来をしでかしたゆえのものでしょう。ただ本能寺の変でジャニタレ二人が互いの名を呼びあう時間が長かったのは時間の浪費でした。土曜日のスタジオパークで岡田准一がゲストに呼ばれたときに、岡田は古沢をあまり高く評価していない気がしました。

 

古沢良太がもし朝ドラを担当すれば面白いなと感じました。いずれするかもしれませんね。