進化論はあくまでも個々のもしくは個別の生命や部位がどのように進化したかだけしか説明できないことです。全体のシステムのなかで生命や部位が他の生命や部位とどのようにバランスを取るようになれたかは説明できません。
前記事でも触れましたが、太陽系というシステムでは恒星である太陽とその他の惑星は、太陽と惑星相互とバランスをとっていますが、なぜそれが構築されるようになったかは説明できないのです。惑星同士も決して衝突することのがないのはなぜなのか説明できないのです。同時に成長しなければならないのでそれができないのです。
「キリンの首がなぜ長い」も取り上げましたが、他には眼の進化もそうですね。目の進化も一応進化論で説明していますが、そういう部位の進化は脳の進化と並行して進化しなければならないのです。目がいくら進化したところで脳が進化しなければ意味を成しません。
食物連鎖もまたそうですね。奄美大島のマングローブという極めて限られた空間での食物連鎖はそれぞれの個体間が絶妙のバランスをとっておりタモリも感心していました。
個々の生命だけが進化しても他の個体が進化しなければ絶滅していたのです。このバランスがどうして進化したのか進化論では説明ができないのです。このような進化論をどうして信じるのでしょうか。それは進化論が宗教だからです。宗教は荒唐無稽なことでも信じるのです。それを科学だと唱えるのは進化論者の自己満足と優越感がもたらすものでしかないのです。進化論者は「私たちは科学者なのだ」という選民思想にとらわれているのです。それはカルト宗教信者とまったく同じものですね。
