昨年の完全試合以来ロッテの佐々木朗希投手が脚光を浴び、WBCでの活躍っで世界に知られるようになりました。
ここで想起したいのは佐々木投手のその活躍の背後にあったのは大船渡高校時代の國保陽平監督の決断です。
2019年夏の岩手県予選。佐々木は準決勝までの4試合を投げそのうち3試合は完投でした。当時から令和の怪物と呼ばれた佐々木は甲子園出場をかけた決勝戦で登板しませんでした。監督の國保が「3年間で(佐々木が)一番壊れる可能性があると思った。故障を防ぐためですから。私が判断しました」という事情があったからです。
これに対して世間は大騒ぎし、中でもサンデーモーニングで張本は登板回避を激しく非難しました。その他金田正一も同じようなことを言っていたようです。それを見たダルビッシュ有は「このコーナーはなくなってほしい」とまで言いました。ダルビッシュのこういうところが私は非常に好きですね。桑田真澄は國保監督の決断を称賛しました。
もし佐々木が決勝まで投げ抜き、その後炎天下の甲子園で勝ち進んでいたなら果たして佐々木の今の活躍はあったでしょうか。佐々木の体格はやや細身ですが、高校時代はもっと身体もできていません。その状態で佐々木を酷使していれば、どうなっていたでしょうか。
当時の國保監督は32歳くらいです。まだまだ血気盛んな頃ですね。母校の名誉と自身の手腕に対する評価を高めたかったなら登板させたかもしれません。しかし國保監督は佐々木の将来を考えて回避したのです。
この國保監督の姿は高校野球監督の鏡ともいえるものです。この決断があったからこそ今の佐々木の姿があるのです。
素晴らしい監督です。
個人的にはもう少し身体ができてほしいと思います。ロッテは大事に育てていると思いますね。阪神ならばつぶれていたかもしれません。高校投手を潰すのが得意な球団で、有害なタニマチがいるからですからね。