今回の旅は、静岡を改めて見直す旅になりました。かつて駿府が江戸と並んだ日本の中心地であること、そして浜松が、市民が誇れるものが数多くある街だということを知りました。
浜松と言えば浜松まつりで大凧が上がることで有名でした。朝ドラ「とと姉ちゃん」の舞台にもなりましたが、やはり地方の一都市というイメージでしかありませんでした。
でももし私に娘がいてピアノでも習わしていたとするならばヤマハと河合楽器がある街で、中型自動二輪ライダーならスズキとヤマハ、そしてホンダの街でもあるので飽きなかったでしょうね。
「もしこの街で生まれ育っていたならば、きっと郷土愛は強かっただろうな」と思います。
「どうする家康」は今まではどうしても入り込めず、ただ音声だけを流しているような45分でした。家康が頼りないからなのと、岡崎や浜松、そして駿府の土地勘と距離感がなかったせいです。三つのドラマ館、そして資料館や天守閣などで「学習」して改めて観ると非常にわかりやすくなりました。
家康の歩んだ人生は非常に複雑でした。司馬遼太郎の小説では、織田信長はとにかく思いついたことを率先して実行し、家臣の言葉などに左右されることはありませんでしたが、家康の場合はまず家臣に好きなことをそれぞれ言わせて、家康はまず家臣団の意見に耳を傾け、その上で最終決定をするという点で対照的だと書いていました。
それは家康自身の性格にも寄るのでしょうが、三河以来の家臣団がずっと家康を支えてきたという歴史があるのでしょうね。つまり家臣団抜きでは家康は藻屑と消えていたのでしょう。
「どうする家康」では女優を上手に使っていると思いますね。それぞれの女優たちがどうでもよい役を演じてはいないのです。古沢良太は心の機微を描写するのが上手いのですが、瀬名と田鶴の友情を細かく描写し、田鶴の戦死につなげました。
本多正信が家康を裏切ったのは幼馴染で遊び女になり、不遇の死を遂げたお玉への愛情であり、お市と家康も幼い時のほのかな恋心を抱いた経緯も和むような描き方をしています。
また金ケ崎退却の際にお市の侍女阿月がお市の言葉をそれこそ「命を賭けた伝令」で走りとおした姿も丁寧でした。
ところでこの阿月のエピソードですが、十里(約40キロ)の道をひたすら駆けて絶命するということでしたが、古代ギリシャ時代、ペルシャ戦争でアテネの伝令兵フィリッピデスがスパルタに助けを求めるために約40キロ走って命を落とした誇示に絶対影響を受けていると思いましたね(笑)。古沢良太にはぜひ聞きたいところです。
松平正久のだまし討ちで、兵力を失って家康が退去した大樹寺で、本多忠勝を演じる山田裕貴が、弱気になった家康=松本純に涙を流して諫めるシーンでは山田は本気で涙が出たというエピソードを浜松のドラマ館で語っていましたが、それほど脚本が良いからでしょう。
織田信長を演じている岡田准一もいいですね。それとムロ秀吉。織田とは違った秀吉の恐ろしさを実にうまく演じています。演出もいいですね。
それと「厭離穢土 欣求浄土」の意味ですが、記憶がごちゃごちゃになってしまいましたがドラマ館もしくは資料館で、当時はこの言葉は「欣求浄土」の部分を「あの世に行け」と解釈していたという説明がありましたが、大樹寺のシーンで古沢良太は「今の世の中を良いものにしろ」という言葉だと榊原小平太に言わせます。私も古沢の解釈が好きですね。
またこのドラマでは今川氏を高く評価した脚本です。今川義元と言えば、戦国武将に似合わず、京風の文化を取り入れ、お歯黒も塗り、胴長短足で乗馬するのも一苦労だったという描写が司馬遼太郎などがしていましたが、その義元を野村萬斎に演じさせ、仁愛に満ち、家康が忠節を誓うに足る人物として描いています。これは静岡市の人にとってうれしいことではないかと思いました。