浜松 ヤマハとSUZUKI | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

さて浜松と言えば楽器の街です。ヤマハとか河合楽器とかですね。そこでヤマハの展示場に行きました。ヤマハイノベーションロードと言います。

 

駐車場の横断歩道がしゃれています。

 

幼い姉弟が、丁度国会議事堂前の横断歩道をビートルズが歩くように、白いところを何度も歩いて、若い母親が「可愛い」と言いながら写真に撮り、父親が腕組みして見ていました。

 

 

中はヤマハの楽器が展示されています。

 

これは世界で25台しかないピアノだそうです。

シリアル番号がついています。

 

ピアノは鍵盤楽器でもあり、打楽器でもあり、弦楽器でもあるという説明をしていました。このメカニズムは実に驚異的です。

 

 

眺めていると、とても美しいピアノの演奏が聞こえてきました。音の出る方に向かうと小学生低学年の女の子がピアノを弾いているのです。展示されている楽器の中には自由に弾いて良いものがあるのです。

 

演奏が終わったので「上手だね」というと、にっこり笑って頷いていました。横で母親もにこりとしていました。

 

一通り見た後で、浜松にはスズキの本社もあり、その近くに歴史観がありましたので足を延ばします。

 

 

 

一階に名車初代カタナが展示されていました。今のカタナと並んでいます。

 

バイクブームの時には1000㏄を超えるバイクはあこがれの的でした。国産ではHONDAのCB1000CCが有名で、あとはハーレーダビッドソンくらいでした。そこに登場したのはSUZUKIのGSX1100カタナです。これは衝撃的なデビューでした。このフォルムが日本刀をイメージするものです。今は何やらやたら「サムライ」という言葉を使いたがるメディアですが、当時は今の様な軽薄なサムライブームはありませんでした。そんな時代にカタナの通称名は輝いていましたね。オートバイというバイク専門誌でも大きなポスターがオマケで付いていてそれを部屋に飾っていました。

 

三階に上がるとスズキ車の歴史が紹介されていました。初代社長の鈴木道雄が自動織機を発明し、それが出発点です。そういやトヨタも自動織機が出発点で何か似たようなものを感じます。豊田の自動織機と鈴木式は異なりますけどね。豊田は愛知、そして本田宗一郎は浜松出身。地理的にも近いですね。

 

初めてのエンジン付自転車。これこそまさに原動機自転車という感じですね。

 

徐々に「進化」します。でもそれぞれは「完成品」であり、独自設計が必要なんですね。

 

バイクブームの時、250CCクラスの革命とも言われたのがヤマハのRZ250でした。それまでのバイクは空冷式でよくエンジンも焼き付いたのですが、水冷式になりその懸念は払しょくされ、しかも馬力も相当出たので大ブームになりました。私はバイクメーカとしてはスズキが好きでしたが、このヤマハのバイクが出て250クラスはやや押され気味でした。そこで登場したのが、スズキのRG250ガンマです。ガンマもやはり水冷式でカタナの流れをくむフォルム、そしてRZを上回る馬力で登場したのです。


カッコいいですね。

 

展示場では軽四輪車も数多くありました。スズキのクルマと言えば軽自動車というイメージですね。大阪万博の電気自動車です。

 

フロンテ。

その中には初代アルトもありました。

 

47万円という破格の値段設定でしたね。これが大人気になりました。私はアルトといえば初代ワークスに乗っていました。ターボエンジンの加速に驚いたのを覚えています。バイク並みの加速でした。高速道路で長い坂道が続くとそれまでの軽では登坂車線で走らねばなりませんでしたが、ワークスはそんなことはなく力強く駆け上がりました。ターボエンジンの魅力に取りつかれ、その後エブリィにも乗りましたがやはりターボ車でした。普通車もターボエンジン車に乗りました。

 

とにかく懐かしい思い出がよみがえりました。

 

浜松は航空自衛隊発祥の地でもあります。「ウナギ」が名物でお土産と言えばうなぎパイですが、実際日本のモノづくりの街として、地元民は誇りを持っていらっしゃるんだろうなと感慨にふけりました。