過度の鞭を実際に経験した多くの若者たちが、その後年齢を重ね、今や組織の中核を構成しています。
組織が自慢したがる「立派な若者」たちは、実は自分で物事を考えることができない、つまり霊的な意味で自分で歩けない大人になりました。
日本支部広報の体罰全否定は、そのような若者などいないと言ったようなもので、彼らが受けた身体の痛みなど、支部委員にとっては感情移入の一遍も感じさせないもので、これは当時の支部委員から見ればそういう若者たちがただの駒にしか過ぎないわけで、彼らはサイコパス性を示しました。体罰を容認したことも、それを平気で否定することで組織防衛、いや自己防衛に徹底した彼らはまさにサイコパスなのです。
JWをやめた2世の中にはとどまっている2世が長老になり大会などでプログラムを扱うことを見聞きして、
複雑な心境になっている人も少なくありません。
純粋にほめる人は少なくたいていは吐き捨てるような口調で語りますがあまり話したがりません。
やはりいささかの劣等感も働くのかもしれません。
一方とどまった2世はいわゆる「勝ち組」でしょうか。
息子がそつなく割り当てをこなし大会ごとで演壇に立つ姿が自慢の母親もいます。
「あの時の鞭は間違っていなかった。」と考えているかもしれません。
しかしその2世長老の共通する姿としては、私の見る限りいわゆる「勇気」がないのです。
会衆内に苦手な人がいるとその長老は話しかけません。
野外奉仕を見ていても組むのは自分の得意とする人ばかりで
古い兄弟姉妹の中ではえてして評判がよくありません。
新しい人を歓迎することや少し難しい未信者の家族と接するのも苦手なようですね。
それと男女を問わずとどまっている2世たちは誰かといさかいを起こすことを非常に警戒します。
そしていったんいさかいが起こるとそれを修復する努力や知恵は持ち合わせていません。シャットアウトします。避けるのです。
ですから「自分に反感を持っている人と和解しなさい。」という聖句を適用できません。
最初から自分が反感をもたれていると思わないようにしています。
またいったん衝突しその後和解したように見えても以前のような関係には戻りません。
それでも記念式には平気な顔をして出席しています。
その日だけは「戦場のクリスマス」なのです。
援助に関しては長老から割り当てられたら行いますがそれを割り当てと割り切っています。
つまり機械的な愛情にしか過ぎず、余分な愛情を持つことはありません。
「義人であるが善良な人ではありません。」
そしてとにかく特権を持っているものから出る言葉は「組織に忠節」です。
これは1世以上に2世長老に顕著です。彼らは組織なしでは生きていけません。
この辺りにスタンガン効果が出ています。
聖書の原則よりも支部の手紙を重視します。
自分たちは少しのことでも反抗すると鞭をされました。
ですから1世が組織や巡回などを批判するとその段階で相手に心を閉ざします。
彼らの心の中では「なぜこの人は鞭をされないのだ?」という気持ちがよぎります。
聖書の言葉が捻じ曲げられても気にも留めません。
組織絶対善であるからでこの基準から外れたものを容易にさばきます。
彼らは1世だったらもっと組織に忠節であるべきだろうと考えています。
一方いまだ組織上位者は1世ですがこの2世の組織崇拝を大いに歓迎しています。
理由はその組織の序列の中で自分たちが上位にいるからです。
自分たちの安寧の地位が脅かされるのを極度に恐れています。
しかし2世が組織崇拝していることは実は自分の地位を虎視眈々と狙っていることに気づきません。
彼らが巡回に対する従順は自分がその立場につくことを狙っているのです。
ですから巡回が少しでも組織批判をすると力ある長老はそれをすぐに地域に相談します。
世での出世欲を否定しながら組織内の特権争いは暗黙の了解で肯定するのが組織です。
これが勝ち組でしょうか?
スタンガン効果は組織にとどまった若者でさえ創造者から関心をそらすことにおいて成功しています。
統治体の目的はそこにあります。