最初は面白く見ていた「罠の戦争」ですが、鷲津が出馬して当選したころから何か入り込めなくなりました。
そもそも鷲津の出馬動機は息子を意識不明の重体に陥らせた犯人を見つけ出し、罪を問うもので、政界の重鎮が隠ぺい工作に加担したとわかってきて幹事長、そして多分総理にまで牙をむくというものです。
鷲津は幹事長に「この事件をあまり追及するな」と言われ、議員職を失うことになるかもしれないと脅されましたが、その脅しに屈することなく「たとえ議員職を失ってもいい」と言います。
この辺りで一視聴者としての関心が失せてきました。というのも国会議員という重い責任を担うにあたって、成し遂げたい政策もなく、政治理念も理想もなく、ただ私怨を晴らすためだけに執念を燃やす姿は、現実においても政策もなくただ「国会で寝てるおっさんの目を覚ます」というだけの理由で当選したガーシーと重なるのです。議員職をなめています。国会で寝てるおっさんと変わりません。
その恨みの晴らし方も、政策論争で勝利を得るというものではなく、ターゲットにした議員のスキャンダルを暴き、失脚させるというもので、これも暴露系で英雄気分になっているガーシーと重なります。
また政権与党の幹事長をはじめ権力者の腐敗ばかりを強調するシナリオもそれこそ反権力であり、似ていますね。
真面目に政治に取り組んでいる議員も多いですし、確かに日本の1億すべてが満足できる政治などできっこないのですが、それでも国家防衛や子育て支援などでより一層国民のために努力している政治家たちがいるおかげで今の生活があるのです。そもそも政治に澄んだ水を期待すること自体非現実な話です。
まあ澄んだ水を期待しても実は泥水だったことで憤慨するのは聖職者に対してならわかるんですけど、不完全な人間が権力を持つ組織ではそこはいつも泥水だということですけどね。ものみの塔を見ればよくわかります。
草彅剛の迫真に満ちた演技は魅せますけどね。「嘘の戦争」の時もそうでしたが、より磨きがかかりました。特に何もない平穏時の表情と怒りを爆発させるときの表情の変化は、埴輪顔が大魔神になるときのようですね。