エホバの証人が三位一体の教理を論破する際に用いる論理として次のようなものがあります。「あなたは三位一体を信じるべきですか。」のブロシュアの中では次のようにあります。
「旧約聖書中には三位一体をほのめかすような記述はない。ユダヤ人にとっては一神教は根付いている。もしキリストが三位一体を真理だということを伝えたければ、一神教を徹底的に覆すだけの言葉を述べたはずです。あいまいな言葉は許されません。また1世紀のクリスチャンも三位一体を信じていなかったと論調を展開しています。
ものみの塔日本支部広報の次の言葉は、ウソに嘘を重ねています。
「教団として暴力を肯定することはしてこなかったが、1990年代には誤った解釈でむち打ちなどがされていたことは聞いている。教えを実行する選択はあくまで個人にあるが、2000年代に入ってからは正しく解釈できるよう、DVDなどにして教えを伝える努力を重ねている」。
日本支部はまず1990年代に体罰があったことを認めたうえで2000年代になって改善したと述べていますが、実際は1970年代~80年代が全盛です。私は目撃証人としてそれを述べます。しかし広報が90年代と言ったのは改善までに時間がかからなかったという錯覚を抱かせるためです。もし70年代からだということを認めれば、改善までに時間がかかったことを認めることになり、迅速な対応ができなかったということをつつかれるのが嫌だったので虚偽を述べました。
さらに80年代において過剰な体罰教育をなされているときに、組織がそれを「暴力」としていなかったのであれば、大会や集会、そして巡回監督などはもっと明確に何度も何度も何度も演壇や個人的コンタクトで暴力的な体罰をする親に助言したことでしょう。丁度三位一体の教理を浸透させるとするなら、何度も何度も何度もキリストや弟子たちが意識改革をしたはずであるようにです。
しかしそれは全くありませんでした。目撃証言します。
1世紀のクリスチャンの中に三位一体の教理を信じていなかったのと同様に、当時のエホバの証人は体罰を目撃していないと言える人は、乳井健司や広報担当などまるで竜宮城にいたかのようなごく少数の人を除いては一人もいないでしょう。
むしろ過剰な体罰を良くないとする私のような人間に対して快く思わなかった長老もいるのです。大会のプログラムで一度でも過剰な体罰は暴力であることに注意を向けることがあったでしょうか。ありませんでした。1994年にエホバの証人によるせっかん死事件が生じたのもその流れだったのです。
日本支部広報が90年代に注目したのもこの事件があったからでしょうが、それはあくまでも70年代から始まった体罰が結実したものに過ぎません。
とにかく「どうしようもない証人」つまり「無価値な目撃証人」であることは間違いありません。ものみの塔日本支部は相当なウソツキです。