もし過剰で理不尽な体罰教育を受けていたなら私は強固な進化論者になっていたかもしれない(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

繰り返しますが私は体罰は否定しません。自分が悪いことをした時には体罰を受けることは子供、特に男子にとって成長のために必要だと思われるからです。

 

ただしそれは人並みのお小遣いをもらっているのに親の財布からお金をくすねたとか、万引きをしたとか、弱い者いじめをしたとか、人を騙したとか、人間として道理に反することをした時で自分の良心が咎めるときです。

 

大人でも必要だと思います。いわゆる百叩きの刑が江戸時代にはありました。古代イスラエルでは石打の刑がありました。今の時代のような、「苦痛を伴わない死刑」などという甘っちょろいものではありません。

 

エホバの証人は古代イスラエルの律法の精神を重んじると言い、すでに廃止された律法なのにそれを子供の教育に適用します。たとえば昼も夜も座っているときもとにかく24時間子供を教えなさいという聖句を常に強調します。これが子供を監視する精神を親に与えました。であれば石打の刑がどんな時になされたかも考えるべきでしょう。この意味で、ウソを吐いた日本支部広報にも体罰が必要です。「体罰を与えた親は残念な親だ」と言ってのけることで責任を逃れを画策した卑怯な態度を公にした広報は万死に値します。

 

いずれにせよ、些細なことで過剰な体罰は、本来の体罰の意味するところではありません。それは苦痛を与えることで子供を意のままにしようとする洗脳なのです。

 

以前にも書きましたが、激しい体罰で子供を育てた親は、「新潟少女監禁事件」の犯人のような育て方をしました。

 

発見されたとき少女は満足に歩くこともできず、手足はやせ細っていたということです。

 

子供に激しい体罰を加えたエホバの証人の親は「残念だ」という言葉では表現できないほど子供の心に後遺症を残しました。心が歩けないほどの傷を負わせました。それは社会問題として大きく取り上げるべき問題です。いわば犯罪ですからね。

 

ものみの塔日本支部は「残念な親だ」と片付けていますが、数百発の鞭を当てた親は枚挙にいとまがありません。鈴木大君の輸血拒否死亡事件で当該会衆に潜入し、後に「説得」を著した大泉実成は、エホバの証人の母親たちが子供たちのいる前で、どんな鞭が効果的かを話し合っている様子が描かれていました。このような事実を日本支部広報が知らないわけはありません。

 

親のそのような教育の背景は日本支部が任命した巡回監督は長老や特別開拓者の指図があればこそですが、日本支部は嘘をついてその場しのぎをしました。これは決して許されるものではないのです。

 

私は幼いころの記憶に、何が原因だったか忘れていませんが庭の木に椅子ごと縛り付けられたことがあります。幼稚園に入る前だったかもしれません。ただ自由を拘束されたことで腹を立てて、庭の土を窓にたたきつけ「バカヤロー」と何度も繰り返した記憶があります。

 

さすがに親はすぐにほどきましたが、幼心にその処置が理不尽だと思ったのでしょう。

 

であればもしエホバの証人の子供としてあの激しい体罰を受けたとしたらそれを納得して受け入れたとは思えないのです。もし自分に体罰を与えている根源が「エホバ」であるなら徹底的にその存在を否定したいと思うようになったかもしれません。となると強固な進化論者になったかもしれません。

 

「進化論では説明できない」と言われれば、「創造では説明できない、神が愛というならば説明できない」と言い返すだけの理由を百万くらい考えているとも思います。

 

何しろ進化論というものは科学小説ですので、確定していない科学(反復できない)であるだけに擁護の根拠は無数に挙げることができるからです。自分を苦しませる体罰を与えた創造を認めるよりも心の安定が図れます。

 

そういう教育をものみの塔はしてきたのです。そして日本支部はそれに大きくかかわっていたのです。子供を創造者から離れさせる教育を放置していたのですからね。今更責任逃れをしても見苦しいだけです。

 

もし今律法下にいるならば日本支部トップには石打の刑が科せられるでしょう。今の彼らには敬虔な恐れなどないのです。敬虔を装いながらその実質のないものとなっているのです。彼らを恐れているのはあくまでも統治体の腹と宝飾品を神としている醜い連中なのです。