「聖書によって訓練された良心」が叫ぶのです。:”今ぞ、その時なり” | 世の中とかなんやかんやに対する感想

世の中とかなんやかんやに対する感想

できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

杉浦勇は「輸血拒否は聖書によって訓練された良心の問題だ」と、輸血拒否が戒律であることを否定しました。

 

しかし日本支部の1世委員や1世上層部、そして2世の実態を知っているはずの乳井健司は果たして本当に聖書によって訓練された良心を持っていると言えるのでしょうか。

 

乳井健司は体罰をされたことはないのでしょうか。その妻は?友人は?離れていった人たちは?乳井は大会のプログラム中に鞭を打たれるために親に連れ出されるときに泣きじゃくった幼児たちの光景を、エホバへの良心の呵責なしに見たことはないと証言できますか。

 

M巡回のように高校生まで体罰を受けたがゆえに、自分は良い訓練を受けたとはっきり述べた2世がいる以上、体罰はエホバの証人にとってごく普通に行われたものです。広報の発した「体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。」という言葉を当てはめれば、M巡回の親は「残念な親」ということになります。M巡回はこの度の広報の発言を「ウソだ」と証言するでしょう。彼が回った会衆の成員一人一人がその言葉を聞いているからです。いま多くの2世長老の親もほとんどは「残念な親」だということにもなります。彼らは体罰を受けて育ったからです。

 

本当に聖書によって訓練された良心があるならば、すぐばれる嘘を吐くことはないでしょう。また幾つかの事実を並べ、聴いている人が真実とは異なる結論を導き出すように誤導するようなことはしないでしょう。

 

全く愚かしい限りです。あのような発表をすれば猛反発を食らうことも想像できなかったのでしょうかただでさえ体罰が原因で組織に対する批判が強い中でそれを全否定すれば燃料投下することになることも想像できなかったのでしょうか。この悲劇的な洞察力の欠如は組織を運営する資格などないことを示しています。情けないほど頭が悪すぎます。

 

私がものみの塔の広報の文言に怒りを感じるのは、杉浦勇の言うところの「聖書によって訓練された良心」が私にはあるからです。それは杉浦勇や乳井健司の様に焼き印を押された良心ではないのです。

 

しかしこれでなぜ乳井が調整者に任命されたかがわかります。1世重鎮が隠れるためです。古だぬきともいえる1世重鎮が、乳井を傀儡に据え、乳井を矢面に立たせたのは外部から見ても明白です。

 

キリストが祭司長やパリサイ人に対して述べたヨハネ8:44はまさにものみの塔日本支部に成就したのです。海老名ベテルは文字通り伏魔殿、つまり悪魔の潜む場所になっているのです。

 

あなた方は,あなた方の父,悪魔から出ていて,自分たちの父が欲することを行おうとしています。その者はその始まりから人殺しで,真理から離れました。真理を好まないからです。彼にとって,うそを語るのは自然なことです。うそつきで,うその根源だからです。(ヨハネ8:44)

 

私の好きだった賛美の歌、“今ぞその時なり”の二番の歌詞です。一部変えました。

 

今は 全きを 示す 時なり

愛を 表わし 兄弟 助けつつ

神の是認 待たば おのれ嘘を捨てて 仕え

日ごと 真理 愛し 忠誠 全うせよ

今ぞ その時なり

 

彼らの精神態度は「日ごと真理を愛」しているとは言えず、偽りを愛する点で、その父が「初めからの蛇」であることを示しました。エホバではなく「統治体」への忠誠を全うしようとしている偶像崇拝者です。だから言っているのです。嘘を習わしとする統治体なんぞに仕えているとろくなことはないと。穴に落ち込むだけなのです。

 

日本支部の委員たちが神の是認を待っているとは思えません。それはエホバの証人を名乗るにはふさわしい態度とは言えないでしょう。エホバの偽りの証人です。もう完全に別の宗教です。「ものみの塔教」なのです。

 

彼らを批判するのは「今ぞ、その時」だからです。彼らは糾弾されてしかるべきです。広報が吐いた嘘とそれを容認した乳井健司はキリストが地上に居たら激しい叱責の対象になったことでしょう。彼らはキリストに叱られることをし続けているのです。その自覚がないなら、キリストの名を通して祈る彼らの祈りは聞かれないのです。そもそも信仰がないのでしょう。偽善者そのものです。