これでは相手に勝てっこない“霊的武具”ー最弱軍隊を養成する愚鈍で無能な指導者層 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。(エフェソス6:14-17)

 

【帯】

真理とは神の言葉ですが、今のエホバの証人が腰に巻いているのは聖書の言葉ではなくて、協会の出版物の言葉です。たびたび変更する預言や聖書の解釈がころころ変わるので右往左往させられるのはまるでフンドシが緩んでいるようなもの。ゴムの切れたパンツをはいて神経が集中するでしょうか。

力士ではあるならばマワシが緩み力が入らないのです。マワシが緩んでほどけると「不浄負け」というのですが、協会の出版物で証言するというのは、霊的に汚れているので「霊的不浄負け」というところでしょう。

これでは力などはいりませんが、エホバの証人の場合、野外奉仕では組織の用意したビデオを流すだけですので奉仕者自身の信仰の力が錬磨されることはありません。ゴムの切れたパンツを米粒でかろうじてくっつけているようなものです。

 

【胸当て】

義どころか不義を胸当てにしているので、「奇妙に思っても」従わなければならないことが数多くあります。偽った心を無理やり押し殺すので心を守れません。組織の言うことが嘘だと思ってもそれを伝えねばなりません。新聞紙で胸を覆っているようなものです。良心の呵責というスキマ風が入って心が無感覚になります。「あなたは義を愛し,不法を憎んだ」キリストとは異なり、不法行為を犯した長老でも再任命したりするだけでなく、そのような情報を「背教者のウソ」と言って隠蔽するさまはとてもじゃないですが「不法を憎んだ」とは言えないでしょう。彼らは「義の胸当て」ではなくぼろぼろの肩掛けで心臓が守れると思っているのです。

 

【装備を足にはき】

「平和の良い便り」どころか、ロシアで認定されたように、統治体の過激な思想を吹聴しているのであちこちで争いを起こします。家の人にしてみれば「もう足を踏み入れるな」と言いたくなるほどの汚い泥だらけの靴です。

 

【大盾】

統治体の与える盾はアクリル板のようなもので、エホバに対して本当の信仰も忠節心などありません。エホバに対する信仰など薄っぺらいものです。「エホバカ」とか「アホバ」という元HLC委員などの信仰はそういうたぐいのものでした。

 

【火矢】

邪悪なものかどうかは別にし、今のエホバの証人に対し、論理的にその間違いを指摘する行為はまるで火炎放射器のようなものでそれをアクリル板で防ごうとしているのでひとたまりもありません。たしかに批判者を相手になどできないでしょう。ひとたまりもないですからね。統治体が「相手にするな」というのは相手にすると大惨敗するからです。

 

 

【かぶと】

カブトというのは頭を守るので、エホバの証人は思考力を守るために必要だと言います。ではこの思考力とはどのように培えるでしょうか。それは相反する二つの考え方を比較考量することによってです。法廷ドラマの面白いところは原告被告の双方が自分たちの主張を正当化するために、証拠を出し合って議論し、どちらに矛盾や論理の齟齬があるかを考えて正しいことは何なのかを判断するところです。

 

かつて「聖書は本当に神のことばですか。」と題する書籍では一人の判事の言葉が引用されていました。「私は裁判でもしているように、肯定的証拠と否定的証拠を並べてよく吟味した。という旨書いていました。

 

ところが統治体は統治体を否定する証拠は調べる必要がないと言っているのです。

 

これでは思考力も判断力身に着かず思考力は培えません。「相手にしません」と書いていますが、相手にすると統治体の悪がバレるので禁止命令を出したのです。エホバの証人の出版物というカブトでは思考力は身に着きません。頭は撃ち抜かれます。相手はますます理論武装をしてくるのですがそれを論駁することができないのは統治体がよく知っているので、背教者と話し合うなと言っているのです。

 

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言いますが、統治体の愚人たちは、信者に敵を知るようにと指導しません。それは盲目の戦いに似ています。したがって話し合うと百戦百敗します。

 

「邪悪な火矢」を消すどころか、「背教者」と話し合うと、火だるまになるしかないのです。統治体がガソリンをまいているので余計にそうなるのです。

 

 

こんな兜をかぶって戦うようにと言っているのです。

 

【剣】

霊の剣をもっているのは、今エホバの証人を批判している側です。というのも統治体を批判するのは聖書から論じているからです。私もそういう事が多いです。豪州王立委員会の質問者が霊の剣である聖句から問いただすと、聖書を手にしながらほとんど言い返せず、惨めな姿をさらけ出したジェフリー・ジャクソンはその剣に切れ味などではなく、なまくら刀か、竹光です。なまくら刀は切れ味が悪く何度も相手を斬らねばなりません。それはかえって相手に苦痛を与えます。ツグミを撃った長老のように聖句を使って相手に傷を与えるのは、正しく適用できていないので神の言葉を正しく使えない証拠です。

 

 

なまくら刀とは?

 

ついでに【司令官】

大事なのは武具だけではありません。司令官の指示に従うことです。しかしクリスチャンにとって司令官はキリストです。そのことは統治体も認めています。

 

 

言葉では認めていながらも実際にキリストの精神よりも自分たちの安逸な生活を最優先します。「スターリングラード」では司令官の無能ぶりが表現されていました。今日のエホバの証人の司令官は事実上統治体です。これはキリストが言われた「世代」を否定する「重なる二つの世代」などという世迷言を堂々と口にしていることから明らかです。ではその司令官は有能でしょうか。その知的レベルはいかほどのものでしょうか。

 

 

「ユーモアじゃないか」という人もいるでしょうが、これだけならそうでしょう。しかし「知らないことなのに知っているかのように振る舞う。」というのは統治体の得意技です。いわばこの下手なユーモアは実は統治体のマイコン方法を象徴的に述べていたのです。それをユーモアだからと言って片付けるならば、統治体の言葉はすべてユーモアであり、実は「重なる二つの世代」というのもユーモアなのです。

 

統治体は1914年教理という思想信条のためにキリストの言葉を歪曲し信者を誤導し疑問を持つものを排除してきました。その考え方はアーヴィングVSリップシュタット裁判で批判の正当性が保証されたの同様に、統治体の間違いを、反ユダヤ主義と関連付けて指摘できるのでこちらの理論武装はますます固まっていくのです。

 

こういう司令官に従っているので、録音は許さないがラインで証拠を残すということに頭が回らないマヌケな長老が生まれるのです。霊の武具であるカブトをかぶっていない=思考力がない証拠です。

 

そういう装備しかできていない長老は無害で大人しい相手しか攻撃しないのです。「弁護士を同席させるぞ」というとすごすごと引き下がるところから彼らの正義感などたかが知れています。それでもとりあえず日本支部の命令には従順です。日本支部が無慈悲な通達したとしても・・・

 

 

 

They say, “Amen.” 

 

And...

 

            

 

                                          ツグミ

 

人間としての醜さをますます深める統治体と日本支部です。日本支部では最終責任を調整者に負わせようと古だぬきたちは画策しているのかもしれません。邪悪な人間のすることはとどまるところを知らないというのが世の常です。批判をする誠実な人間を散々邪悪と表現する彼らですので、同じ言葉を言われても文句を言える筋合いはありません。すでに彼らは批判者を誹謗中傷しているのですからね。