ロシアのエホバの証人の救出を絶望的にさせるスプレーンの愚鈍な講話(年次報告より) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

年次総会のスプレーンの話はもう一つ非常に重要な要素として、大いなるバビロンの教理を固く維持しているということで旧態依然の態度を示したことです。これはロシアのエホバの証人にとって極めて深刻な状態が継続するということを意味します。

 

スプレーンは「ユダヤ人はバビロンに残ってエホバに仕えることを選ぶこともできました。」明確な認識を示しています。つまりバビロンにとどまっていても心がエホバに向いているならば問題ない」ということです。ナアマンも自国に戻って異教の神に表面上膝まづきながらも、エホバを崇拝することが許されるという例を残しました、

 

スプレーンはなぜかしかし今のエホバの証人は大いなるバビロンから絶対に出なければならない」と言いました。この論理の飛躍の根拠は薄弱です。「命がかかっている」というのがその理由です。では古代バビロンにとどまった人は「命がかかっていなかった」のでしょうか。真の崇拝は今も昔も変わらず命がかかっているというのはモーセの後継者ヨシュアが提示した二つの道の選択の時から変わっていません。

 

 確かに黙示録には「大いなるバビロンから出なさい」という命令はありますが、大いなるバビロンを「エホバの証人以外の宗教」と解釈しているのは統治体です。大いなるバビロンをもし「宗教的偽善」と定義すれば、統治体もその一部ですので取るべき行動は変わってきます。

 

ただここでスプレーンが昔からの大いなるバビロンの教理への固執を表明したことはエホバの証人が破壊的カルトだと認定したロシア政府の見解を強めるものとなるでしょう。

 

私がもしロシア政府関係者なら「お前たちは少しも変わっていない」という根拠にします。スプレーンの講話はロシアのエホバの証人の救出を絶望的にさせるものです。

 

こういったことからスプレーンはロシアのエホバの証人の福祉など念頭にないことがわかります。統治体の特徴として苦境にあえぐ人を知っているのに手を差し伸べることはしないというのがこういう面でも出ています。スプレーンが古代バビロンにとどまったユダヤ人もいるという自分の発言に対して正しい認識と責任を自覚しているならば、ロシアのような国ではその国の価値観を否定するような「大いなるバビロン」の教理が、ロシアのエホバの証人を苦しめていることへの認識も同時にすべきでしょう。この過激な教理ゆえにロシアで破壊的カルトだと認定されたのですからね。

 

 

 

「時宜にかなった食物を与える」と都合よく教理変更するならば大いなるバビロンの解釈も変更すべきでしょう。

 

スプレーンは世界的な組織というのがどういうものか理解していません。あくまでもアメリカ人の価値観でしかないのです。今米中対立で中国がアメリカ人の価値観を押し付けることに対し強い抵抗を示しています。「ブラックレイン」では日本のヤクザのドン若山富三郎が、アメリカから来た刑事マイケルダグラスに向かって、戦後アメリカががアメリカ人の価値観を日本人に押し付けて日本はダメになったという場面があります。

 

しかしパウロはユダヤ人の価値観をギリシャ人に押し付けることは間違っていることを示しました。もし統治体がパウロと同じ油注がれたものであるならばスプレーンのような愚鈍な講話などしなかったことでしょう。

 

ショーシャンク刑務所長のノートンが受刑者の冤罪を晴らそうとしない態度を見てアンディは“obtuse(愚鈍)”と言って逆鱗に触れます。しかし「統治体は、ハルマゲドンは来るべき時に来るということを知っています。」と述べたマークサンダーソンやスプレーンのような人間がいることからもわかるように

 

How OBTUSE they are!

ちなみに上記引用記事ではBBCによると、ある小冊子に作家レフ・トルストイの言葉が引用され、ロシア正教会の教理が「迷信で呪術的」と記載されていのを司法省が問題視したという。」とありますがスプレーンの「復活したラッセルが天からメンテナンスをしている」というのも十分迷信で呪術的ですけどね。また「大いなるバビロンの教理は憎悪感情を煽る」のですが、スプレーンの鬱陶しいしかっめつらはその憎悪感情を煽っています。神権宣教学校案内書の「表情と身なり」の項目を読めばわかります。そういえばモリスの表情もそのほとんどは笑顔はないですね。あの研究過程ではスプレーンは「努」「努」「努」「努」「努」・・・・の連続でしょう。昔巡回大会で神権宣教学校の監督をした斎藤昭三なら必ずそうしたことでしょう。まあ斎藤自身も表情はしかめっ面がほとんどでしたが。笑顔は「神の立琴」について触れた時くらいでした。かといって笑顔をしたらサンダーソンの「来るべき時に来るということを知っています」とマヌケ面でマヌケなことを言った時の偽善性がより濃くなるのが統治体の講話ですけどね。