南アフリカですさまじい闘いをしている牧師の話です。無法な若者とともに祈りを捧げている姿は敬虔な心とはこういうものなのだと痛感します。
エホバの証人の長老でここまでの思いを持って道を踏み外した人を立ち直らせようとする人が一体どれだけいるのだろうと思います。ほとんどは六積さんのような人です。六積さんから見ればこのような牧師に対してですらも、「聖書のほとんどは無駄だ、こんなことをしてなんになる」になるのでしょうね。無駄にしたのは六積さんのほうですが。
一方必要の大きなところや外国へ奉仕をするエホバの証人の中には程度の差こそあれ同じような思いを持つ人もいるでしょう。
確かに管轄するものみの塔日本支部は無責任の極みで、象徴的に言うならば、支部委員たちの頭を登山靴で踏みにじりたい気持ちはありますが、それでも宣教に行こうとする個々の人の思いは尊いものだと思います。
悲しい出来事もありましたが、残されたご遺族のお気持ちを考えれば、それを組織批判の具にして騒ぎたてるような真似はしたくないという思いが私にはあります。