民衆の怒りを焚きつけて暴力性を感じるれいわ新選組。党名の意味が理解不能。新選組は改革勢力ではない | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

報道ステーションとnews23の党首討論の山本太郎の発言とその内容、そして語気を見て改めてれいわ新選組の暴力性となぜ新撰組という名を政党名につけたのかがわかってきました。

 

今CSの時代劇チャンネルで新選組血風録の再放送をしていますが、もともと新選組というのは司馬遼太郎が土方歳三を美化するまでは、幕末期の京における殺戮集団としての位置づけでした。

 

新選組には鉄の掟である局中法度書に代表されるように厳しい締め付けと処刑がありました。そして京をうろつき回る不逞の輩をことごとく斬ったのです。

 

司馬遼太郎も書いていましたが、池田屋事件は一般的には討幕の志士を多数斬ったので明治維新が遅れたと言われていますが、この事件の遺恨を晴らすために長州は蛤御門の変を起こしそのあとの時代の流れから見ると時勢は急激に変化したので明治維新を早めたともいわれています。それほど長州の怒りは大きかったのです。

 

流山では近藤勇が「自首」したにもかかわらず、切腹ではなく斬首されました。武士の名誉も踏みにじられたのです。官軍は近藤勇を武士として認めていなかったのです。、それほど薩長の新選組への怒りは大きかったのです。それは新選組が京で行なったことの報いでした。

 

確認しておきますが新選組は明治維新とは無関係です。改革とは無関係です。むしろ徳川という旧態にしがみついて、慶喜が大政奉還した後もそれに納得せず、五稜郭まで戊辰の役を続けたのです。いわば保守本流です。そして徳川恩顧の不満武士の怒りを焚きつけて新政府に抵抗し、気に入らなければ斬って斬って斬りまくりました。

 

国会における抗議の幕を掲げるなどルール違反を平気で犯し、自民党政権に対し、常軌を逸する憎しみと暴力性を感じさせる表現の数々は本当の意味で改革などを求めてはおらず、ただただ民衆の怒りを集めて、自民党を「斬って斬って斬りまくりたい」のでしょう。なるほどそれで新選組かと思いました。

 

おそらく野党共闘で政権を取るとこの性格ではいずれ立民枝野に対して反旗を翻す可能性は強いでしょう。すでに東京8区の候補者騒動で傷つけられたプライドはおいそれと修復できるものではないはずです。

 

政党名に明治維新勢力ではなく、明治維新に反逆した勢力にちなんだ名をつけた意味を考えてみると興味深いですね。まあ山本太郎はNHKの大河「新選組」に出て、ミーハー根性丸出しで「新選組がかっこいい」と思って、名付けたのでしょうが、新選組の大義から見て合致しているようには思えません。組織結成理念から言うと、「れいわ新選組」は改革派ですので、佐幕派の新選組とは真逆の立場です。もし土方歳三が生きていたら「おこるで~、しかし」かもしれません。

 

むしろ水戸天狗党に近いかもしれません。「れいわ新撰組」ではなくて「れいわ天狗党」のほうが血気にはやる山本太郎の性格から言って向いている気がしますね。

 

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こうして権力を得た一派は、反対派から「一般の人々を軽蔑し、人の批判に対し謙虚でなく狭量で、鼻を高くして偉ぶっている」ということで、天狗党と呼ばれるようになった。これに対して斉昭は、弘化2年10月に老中阿部正弘に対し、江戸では高慢な者を「天狗」と言うが、水戸では義気があり、国家に忠誠心のある有志を「天狗」と言うのだと主張している。