日本支部に対して距離感を感じたことは、いくつか段階がありました。その中の一つに、任命されている長老や大会で話をする長老が必ずしも立派な長老だとは思わなかったことがあります。
あくまでも私が経験したことから言えることですが、人間評価の基準になるのは、「上からどう見られているか」「他の会衆の人がどう見ているか」ではなく、「下からの評判」そして「身近なものがどう見ているか」というものでした。
たとえば巡回や地域監督からの評判がイイとか、大会などで割り当てを果たし他の会衆からの評判がいくら良くてもそんなものはあてにならないというものです。
その権威の下で働く人がその人をどう見ているか。もしくは同じ会衆の人はどう見ているかの方が重要だと思っていました。巡回監督は年に実質10日余りしか会衆を訪問しないですし、その時はたいていの人は良いところを見せようとしますので、巡回が会衆を見る目は曇っていることが多いですね。そういう巡回の前で態度を変えるのは男女ともにいましたから、そういう人たちをあまり信頼することはありませんでした。
またいくら大人からの評判が良くても中高生が煙たがるような人間も信頼できませんでした。
ところがこの基準に当てはめると、1990年代中ごろから長老の質が株価の急落のように急激に低下するようになりました。これはMTSの出現が大いに影響していると感じました。
私もMTSに行くのはどうかと巡回監督から言われたこともありますが、二か月間仕事に穴をあけることができなかったので断りました。しかしながらエホバの証人の男子は一般の職業では変わりがいくらでもいる職種の人が多かったですね。開拓者学校の時の二週間は、ちょうど務めていた会社が前触れもなく倒産したので行くことができました。(この時神慮だと思いましたね(笑))でも二か月は無理でした。
ところでこのMTSはいわば即席ロボット長老養成学校とでもいうべきもので、2世の多くは長老になりたいがために入校しました。
MTSに入校するととにかく支部委員と接する「特権」があり、それ故に「顔が売れる」のです。そして支部委員のお眼鏡にかなうようにみな競います。そのためには組織への完全忠誠を示さなければなりません。そして卒業する都市部から回収と巡回監督へ長老推薦するようにお達しが来ます。わずか2ヶ月の強固なマインドコントロールで組織のアンテナが誕生するのです。
本来長老とはその資質が問われてしかるべきなのですが、そのためには野外で弟子を生み出し非信者の家族との地道な接触など数年かかって培われるべきものです。ところがマインドコントロールは比較的短期間でできるものです。2ヶ月もあれば、しかもそれが閉ざされた空間で行われると非常に効果的です。
それで各会衆に派遣されますが地元長老との確執が生じるのですが、その場合組織はMTS卒の味方をします。
おそらく多くの方がご経験されているかと思いますが、MTS卒長老はあまり食事招待などしません。される側だと思っています。また個人的に野外奉仕で緻密な関係を築こうとはしません。集会に始めてきた人を信者非信者を問わずあまり近づこうとはしません。非信者の夫などを訪問することもありません。オウム真理教がテレビでよく出ていた時に、村井、上祐、青山など幹部がまるで感情のない表情をしていて異様な気がしましたが、あのような表情をMTS卒長老もするようになりました。
無表情は無感情だからこそですが、それは特別意識があるからでしょう。一般の人を見下していると人間はああいう表情になります。おそらく宝石さんに接したMTS卒長老も同じような表情だったことでしょう。
その様な希薄な人間関係しかないのに大会でプログラムを扱うので自分の言葉には力があると錯覚するのです。正直なところ彼らに創造者に対する信仰があるかどうかは極めて疑わしいですね。いまでもEXJWの元長老の中には想像を信じられないという人がいます。「化石こそ進化の証拠だ」と豪語する人間もいますが、化石は見ようによっては進化を否定するものでもあるのです。
古い兄弟ですら彼らの前では大人しくなるのです。六積さんはそういうタイプでしょうね。
「踊る大捜査線」で「本店」と「湾岸署」の関係が描かれていましたが、あれ以上のヒエラルキー社会です。
この時期はレイモンドフランズの「良心の危機」が発表されたこともあり組織は組織防衛に明確に舵を切り、暴走を続けるようになりました。