記念式不出席者に対する配慮までも批判材料にするだなんて、怪獣はあなたでは? | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

記念式はエホバの証人にとって最も重要なイベントです。あまりにも重要なので排斥された人でもこの日だけは出席する人もいるくらいです。ましてや欠席するだなんて心が責められる人は少なくありません。

 

ある時に記念式終了後長老が表彰物を丁寧に包んでいました。「後で食べるつもりですか?」と笑って尋ねると、「今日来れなかった兄弟姉妹たちにもっていくんですよ。」とおっしゃったので少し恥じ入ったことがあります。

 

私のいた会衆では油注がれていない兄弟姉妹でも、記念式に残念ながら出席できない人たちの心を思いやり、記念式の様子などを伝えることも兼ねてその様な配慮がありました。「電話だけでは伝わらないでしょうしね。」と言っておられました。勿論インフルエンザなどの感染の危険があったり高熱を出している人へは控えていました。記念式が終わって皆ホッとしている時間もその長老は仲間のために余分の時間を作って訪問しているのです。それは善良さという優れた資質です。

 

そうすることで成員が感じる良心の呵責を少しでも和らげることは間違いなく羊への配慮でした。

 

長年長老であったにもかかわらず、そのような成員の心まで思いやれず批判の材料にするところからはっきりわかるのは、怪獣はむしろ批判するその人だということです。

 

なるほど取り決めでは油注がれたものという言葉が明示されているとしても、それの拡大適用ができないのでしょうか。取り決めが油注がれたものだけだと解釈し、その取り決めの一言一句にこだわり、取り決め重視の態度は、ああやっぱり会衆の成員に対して本当にクリスチャンなど抱いていなかったのだなという確信が深まります。取り決めに血を通わせるのが長老の仕事なのに、それを取り決めじゃないからと言って批判するのはまさに役所仕事で長老の仕事をしていたのでしょう。取り決めに違反したと言っても別に罪ではありません。というかその取り決めが油注がれたものだけに適用されること自体が大群衆との差別なのだということにそもそも気が付かないのでしょうか。

 

普通の地球人として、つまり人間としての配慮を持っているのは果たしてどちらなのでしょうか。愛があるのはどちらなのでしょうか。

 

愛ある配慮を示す長老に対して「執拗なイジメをする」人だという記述も、このブロガーさんの性格から言ってはっきりものをいう人間は苦手なようですので、そう見えるだけなのかもしれません。この人の言葉を真に受けることはできないのですが、自称質実剛健の元長老はそれを真に受けて、エゴイストだと誹謗中傷しています。全体像を把握する力がないゆえに論点がずれているだけに、真に受けるのが間が抜けているように思えます。バランス感覚など無きに等しくただただ組織批判をしていれば憂さが晴れるのでしょう。リアルでは奥さんに何も言えずに黙々と現役のフリをしているんですけどね。それの方がエゴイストに見えますが。まあ怪獣同士の意地張りバトルとか言っていますので、このコメント者は記事を書いたブロガーも怪獣だという認識は持っているのかなとも思えますが。

 

しかしまあ配慮を示した長老に対し、取り決めではないと主張した長老が5人中3人もいたということですが、その3人のうち他の二人はこの処置についてどう思ったのかがわかりません。「取り決めではないけれど良い判断だ。風邪で休まれた姉妹もさぞかし喜んでいらっしゃるだろう」と評価したかもしれません。しかし二人とも「取り決めではないのでふさわしくない」と言えば殺伐たる会衆ですね。そういう長老が過半数の会衆で親身な牧羊が行なわれていたとは思えません。

 

巡回訪問であえて話題にしなかったとのことですが、この方の性格は典型的事なかれ主義者で長いものに巻かれろですから「あえて」どころか他のどんな問題も話題にすることはなくただただ流れに身を任せていたのでしょうね。というか長老団でそこまで意見が分かれたのであれば巡回監督に純粋な質問としてなぜ尋ねなかったのか不思議です。明確な方針を知る必要が長老としての責任上あるのではないでしょうか。中途半端な状態で今ここでその元ベテライト出身の長老を怪獣と表現する方がいじめに思えます。

 

個人的にはベテル出身の長老が取った処置は人の心に寄り添うものであり褒められこそすれ非難されるべきものではないと思われます。それすらも非難するのは、如何なものでしょうか。他の面ではどうか知れませんが、イの一番にこの例を持ち出したのであれば他の面でも大したものではない気がします。イジメと言っても具体的じゃないですしね。

 

この過程でこのブロガーさんがどういう点で会衆の成員の心に寄り添っていたのかうかがい知ることができません。長老というのは会衆の成員の心の支えになるというものではなかったでしょうか。