独裁政権が強権発動をすれば、対決行為は周囲を巻き添えにしながら災いを招く(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

香港の自由主義VS共産主義の戦いは、共産主義体制に呑み込まれる形になりました。

 

共産主義は強力な権力集中体制であり、そこでは指導者層の独裁政治がおこなわれています。そのような政府が本気を出せば、抵抗勢力は見るも無残に砕かれるのです。そして首謀者はもとよりその関係者まで類は及びます。

 

対決しても、それが力と力のぶつかり合いになれば必ず弱い方は負けるのです。

 

「ものみの塔」との戦いも似たようなものです。少なくともコミュニティの中では、偶像視される統治体がその気になればいくらでもそのコミュニティからは象徴的な意味で抹殺されることはどうしようもないのです。

 

この場合いわゆる対決姿勢を示すと、自分のみならず周囲も巻き込んで悲惨な目にあうのです。

 

理想を抱いても独裁倒置はいずれその理想から程遠いものになります。そもそも共産主義はある意味で理念としては理想的かもしれません。しかしながら共産主義国家における独裁政治は、窮屈で人権などは無視される社会を作り出すのです。旧ソ連、東ドイツなどの「東」の体制、中国、北朝鮮などを見ればわかります。「人が人を治めて害を及ぼす」というのは共産主義体制に最も当てはまります。

 

その中では当然不満を持つ人たちは大勢出てきますし、その不満を表明する人に対して多くの人は共鳴します。それが大きなうねりになって時に改革が成功することもあるかもしれませんが、往々にして失敗します。中国の天安門事件やこの度の香港デモなどはそうでしょう。また脱北者の風船攻撃もまたそうです。

 

ものみの塔組織は、理念としては共産主義です。「多く持てる者は少ししかないものに分け与える。」というのはそのひとつです。一日働いた人にも半日しか働かなかったものにも同じ賃金を払うということにしても、アナニアとサッピラのように私有財産の所有を戒めるような記述があったりしますがこれらを都合よくデフォルメすると共産主義思想と通じるところがあります。

 

となると「人が人を治めて害を及ぼす」という聖句はものみの塔組織にも適用されます。勿論指導者層が敬虔な思いと信仰を持ち、謙遜であるならば聖書の言葉に倣い神の目を畏れた支配をするでしょうが、現実は「口では神を敬う」が、「敬虔の専心を装いながらその実質の伴わないもの」となっているので人間の組織となっているのです。

 

その様な彼らに、聖書に基づいた訴えをしようが全く無駄なのです。

 

彼らは聞く耳を持たない「良心に焼き印を押された」ものだからです。彼らに聖書から説得しようとしても無駄なのです。彼らもう聖書に対する敬意など持っておらず、それをするならば怒り狂うのです。キリストが旧約聖書からパリサイ人を戒めた時にパリサイ人はキリストを殺そうとしました。偽善的な宗教集団というのは2000年たっても変わることはないのです。それが聖書的かどうかなど彼らにとってはどうでもいいことなのです。逆らうものは許さないのです。そういう者どもなのです。これを不敬虔なものと言います。

 

こうなるとこのような組織に「対決姿勢」を示すのは悲劇的結果を招くものになりかねません。

 

北海道で起こった「事件」「事件簿」に記録されていますが、当該会衆の中心となった長老や奉仕のしもべたちは有能で良識をわきまえた方々でした。会衆内に根強く残る悪習を是正したいという誠実な願いに基づいて組織に抗議しようとしました。世界本部まで出かけるという多大の労苦を払いました。しかし結果的には組織に打ち砕かれました。その際多くの会衆の成員がつらい目に遭いました。これなどは天安門事件のようなものです。あるいは香港デモのようなものです。

 

かといって指をくわえて見ていていいのか?という見方もあるでしょうが、現実的見方をすれば、もし組織にとどまりたいのであるならば「長いものに巻かれろ」の姿勢は知恵の道なのです。中国本土でもそれなりに幸福に生きている人もいますし、本土の人たちにすれば逆に香港デモを快く思っていなかった人もいるでしょう。香港にも親中派はいて、デモ隊の破壊行為に歯噛みしていた人もいたことを見逃してはなりません。もし「命を大切にしたい」のであれば体制に順応するしかないのです。それがどうしても嫌なら香港から脱出する人がいるように、組織から離れるしかないのです。

 

組織から離れて外から批判する場合にも、注意を払う必要があります。脱北者が風船攻撃で蒔いたビラに対して北朝鮮が激怒したことを忘れてはなりません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7af8eebf60e9b564227b42dc0bdea194532d65d7

「脱北者からのビラには、北朝鮮指導者の夫人を侮辱するような写真も含まれていました。わざわざ専門ソフトを使い、下劣な画像を作った。あまりに低俗な内容に、北朝鮮の指導部だけでなく一般住民も強い怒りにうち震える事態となったんです」 6月29日、ロシアの駐北朝鮮大使アレクサンドル・マツェゴラ氏は国営タス通信の取材に対し、このように話した。 韓国の脱北者団体がまいたビラは、北朝鮮の猛反発を招いている。金正恩委員長の妹・金与正氏は、散布を黙認した文在寅大統領を「吐き気がする」「ムカつく」「クズ」と罵倒。平和の象徴である南北共同連絡事務所を爆破してしまった。『デイリーNKジャパン』の高英起編集長が語る。 「以前から日本の卑猥なビデオのパッケージに、正恩氏の夫人・李雪主(リ・ソルジュ)氏の写真を合成した画像がまかれていました。中には、韓国の大統領と身体を密接させる李氏のビラもあったとか。画像を見た韓国の人々は、『こんなものが散布されたら北が激怒するのも当然だ』と話していたそうです。最高指導者やその家族を揶揄するのは、最大の侮辱と言えるでしょう」 …高氏は解説する。 「韓国側のビラからは、北朝鮮の人々がいかに非民主的な生活を送っているか知ってもらおうという真摯な姿勢が感じられません。裸の合成写真など、内容が下劣すぎます。一方の北朝鮮は、金ファミリーのスキャンダルということもあり過剰に反応してしまう。無視していれば良いのに、韓国側に下品な写真でも金体制を動揺させるのに十分な効果があると教えているようなものでしょう。低俗なビラが繰り返し散布されるのは、こうした北朝鮮の稚拙な対応も影響していると思います」 悪意に満ちた合成写真が、南北平和の大きな障壁となっている。

 

本当に組織内の人々に真摯な態度で真実を知ってもらいたいと思うならば、組織内の人々を侮辱するような表現は厳に慎むべきでしょう。脱北者の作ったビラは、韓国なの人々ですらも「北が激怒するのももっともだ」という認識を持っているのです。お花畑とかフラワーフェスティバルとかラブシャワーとか奉仕している人をボウフラと呼んだり、盗撮中傷などという侮辱的な表現は、逆効果なのです。

 

もっとも統治体にしても「背教者のウソ」だとか「背教者は頭がおかしい」などと言って、組織内の問題に対して目を背け、過剰かつ稚拙な対応をしているのが元信者の行動をエスカレートさせている側面をもあります。

 

しかし離れた人たちの非常識な行動がもたらすものは何でしょうか。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93647.php

「今月初め、清津(チョンジン)市をはじめとする道内の社会安全部(警察)幹部らを対象に、南朝鮮(韓国)からの敵宣物の危険性に関する講演が行われた。講演では敵宣物(ビラやメモリーカード)によって思想が変質し、南朝鮮への憧れを露骨に表現し、国家を非難したある男性を処刑したとの言及があった」という。・・・北朝鮮が本気で対敵活動に乗り出したら、誰にいつ、どのような災いが降りかかるかわからないのだ。・・・このまま行くと、北朝鮮の人権侵害を非難してきた脱北者たちは韓国社会で孤立を深めかねず、そうなれば、金正恩体制からの「処刑」の脅しが恐怖の度を増すことになる。それはいずれ、金正恩体制の過ちを非難するすべての人に影響しかねないことを、私たちは知るべきだと思う。

 

「背教者と親しくするものも背教者だ」という統治体の指針は、それこそ「ビラを見て共感するものは処刑する」というこの北朝鮮の姿勢と酷似しています。それほどまでに統治体は独裁的なのです。その域に達しているのです。とは言えそのような統治体の指針が「正しい」と思わせるのは、批判する側の批判の仕方が大いに関係します。

 

内部の人たちに対するリスペクトを意識し、真に問題になっているのは統治体およびものみの塔日本支部の権力掌握者などであることを正しく認識し、道理にかなった方法で問題点を浮き彫りにしていかなければならないのです。道理にかなうというのは全否定を捨てることです。来る日も来る日もエホバの証人の悪いところばかりに集中して批判するのはその人自身の心が荒んでいるとしか思えなくなります。良いところが見えない心はもはや完全に批判ロボットになっているのです。