堀江貴文氏の言動に見られるリーダーとしての“やばさ” | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

ヤフーニュースで取り上げられることが多くなったので最近をよく見かける堀江貴文氏に関する記事ですが、どうもその発言が何かおかしくなっている気がします。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200505-00000131-dal-ent

 

「ホリエモン」こと実業家の堀江貴文氏が5日、ツイッターに新規投稿。この日、岐阜県の長良川で友人とバーベキュー後に川遊びをしていた10代の男性が溺れ、心肺停止状態になったというネットニュースに対して「同情する必要なし」などと男性を叩くコメントが続いたことに「やばい世の中になったな」と苦言を呈した。
 堀江氏は、批評家の東浩紀氏が「コメントがすごい」として投稿した水難事故のニュースをリツイートし、「もう完全に犯罪者扱い。やばい世の中になったな。何が悪いのか一ミリもわからん」と嘆いた。
 このニュースのリプ欄には、男性の命を気づかう声ではなく、「医療従事者の方や消防などの方に余計な手間を掛けさせないでいただきたい」「こういう人がいるから緊急事態宣言が解除が出来ない」「ステイホームですよ。意味わかるかな?」などと、自己責任論に基づいて非難する意見が多く見られた。

 

これだけ見ると、堀江氏は確かに人の命を大切にするような印象を受けるのですが、やはり根底にあるのは「自粛厨」に対するいら立ちでしょう。件の若者たちはおそらく遊泳禁止と思われるところで川遊びをしていた可能性もあるようです。

 

堀江氏が本当に人命を重視するのでしたら、ロケット打ち上げを中止することに対し「大樹町に嫌なことをされた、住民票を移そうかな。」という、高齢者の多い町民全体を貶めるようなことは言わないでしょう。札幌では感染者数が激増していますし、道外からの来訪者に対する警戒心が強い道民感情を考慮していません。人の感情を考慮しない人間が、人の命の大切さを主張するのは矛盾です。この辺りエホバの証人のハルマゲドンで信者以外は全員滅ぼされるというのと通じています。

 

それと「何が悪いのか一ミリもわからんという言葉。これ何を意味しているかか分かりますか?

 

全否定なのです!カルト的要素が確かにあります。

 

さらに言いますと、堀江氏は吉村知事がパチンコ店名を公表したときに、そのことを批判しました。自粛厨を普段批判している流れに沿っていますし、平素からゼロリスクなどあるわけないと言っています。しかし吉村知事は大阪モデルを創り上げ、経済活動の再開を考慮に入れています。吉村知事の主張の説得力のある点は常に数字を上げることです。報道ステーションではとんかつ屋の店主のような事例を絶対出してはいけないという信念のもと、経済による死がコロナによる死を例年より上回ることがあってはならないという認識で仕事をしています。しかし堀江氏はいったん吉村知事を批判する立場をとったので、もう吉村知事に対して言及することはありません。池田清彦氏と同様東京人の傲慢さを感じます

 

上記記事のリプ欄を見ていると総じて堀江氏に対して批判的です。こういう意見もあります。

 

自業自得とまで言うのはどうかと思いますが、それ以前にこの時期の川とか海って水温がそれ程上がっていないんです。…そして目で確認出来なくてもスポッと深くなっていたりするんです。
海であれば浅瀬のつもりが気付けば思いの外流されていたり、川でも不意に大人でも足が届かない場所があったり。
公園の散歩等まで何か言う事には違和感がありますが、少なくとも医療機関が逼迫している今に於いてわざわざ危ない場所に行かなくても、と感じます。
 そして個人的に一番の違和感は何もしていない割に何かにつけて口汚く騒ぎ立てる堀江氏ですかね。
ご自身が正しいと思う事をロールモデルとして行ってから何か発言なさればいいのに、どれも半端な感が否めない上に口汚さが不快です。

 

この事故の前日に琵琶湖で同じように水難事故がありましたが、コメント欄を読むと概ね似たような反応です。

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200503-00336416-kyt-l25

 

毎年GWは水難事故が多発する時期であり、せっかく楽しもうと思った人が不幸な事故にあうのは何ともいたたまれない気がします。本来ならば、人々の悲しみと同情を集める事故ですが、批判の対象になるのは今の時期だからです。コロナと直接関係がなくても自粛要請に従わない結果、事故が生じた時にただでさえ疲弊している警察、消防、医療従事者に余計な負担をかける行為はそれゆえに批判されるのは、市民感情からは致し方ないのですが、それを「やばい」とという堀江氏の感覚が「やばい」と思えます。自身のロケット打ち上げ中止という極めて個人的利害に端を発する自粛要請に対する抵抗からの発言だからです。つまり純粋に、人の命を重視する動機ではないからです。

 

私は自粛要請に従っていますが、それでも外に出かけるときはほとんど車です。しかし今は昼間でも子供がいるので運転には細心の注意を払っています。自分や相手を交通事故で警察や消防、医療従事者の負担になるようなことを極力避けたいと強く思うからです。大好きな旅行にはこの2ヶ月半どこにも行っていません。

 

堀江氏は「ホストはみんな抗体を身に着けている勝ち組だ」と言っており、自粛厨を嘲笑っていましたが、しかし実態はかなり深刻です。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00037694-bunshun-life

https://article.auone.jp/detail/1/2/2/124_2_r_20200504_1588542092489050

 

非常に複雑な環境で働かざるを得ない風俗関係者の中に重篤患者も出ていることを考えれば、堀江氏が人の命を重んじる人には思えません。大樹町の高齢者の命を重んじるようには思えません。何かそこにサイコパス性を感じます。

 

コロナウイルスの怖いところは、感染者が出るとその周囲の活動が一定期間停止することです。インフルエンザと違うのは小学生で感染しても重症化しなくても学校で一人でも出るとその地域が休校になるところです。

 

さらに危篤状態に陥った愛する人のそばに寄り添うこともできず、亡くなってもご遺体にすがることもできないのです。陽性反応が出た時の接触が最後でその後はお骨になるまでは会えないところです。事実上最後の接触は、陽性反応が明らかになった時だということです。そこに悲惨さがあるのです。

 

堀江氏の価値観を知るにわかりやすいエピソードがあります。

https://toyokeizai.net/articles/-/348398?page=2

 

以前、新幹線で激怒したことがある。スマホを見ていると、前に座っていた人がこちらを振り返って何かを言っている。

わざわざイヤホンを取って「何ですか?」と聞き直すと、彼は「すみません、座席を倒してもいいでしょうか?」と聞いていたのだ。

座席なんて倒したいなら倒せばいい。ぼくの時間を奪ってまで、そんなことを確認してこないでくれ!

「そんなことで怒らなくても……」とお思いだろうか?ぼくにとってはどこまでもあたりまえなのだが、世の中の価値観のなかでいちばん摩擦が起きるのもここだ。なかなか理解してもらえない。

しかし、時間がいちばん大切だという前提に立てば、何度考えてもこの結論にしかならない。くだらない人間関係や礼儀に執着している人は、やはり時間の大切さを本質的には理解できていないのではないだろうか。

 

ロケット打ち上げが中止ではなくて仮に延期になったとしても時間が無駄になることへの腹立たしさは変わらないでしょう。確かに時間が一番大切だという前提に立てば、氏の言い分もわかりますが、それに執着するのには異常さを感じます。それがあまりにも極端であるが故に違和感が生じるのです。これは心にゆとりのない生き方です。氏の価値観を支配しているのが「時間」だとすればもはやそれが神になっています。堀江氏は大相撲の仕切りの時間をどう感じているかを聞きたいものです。

 

日本の文化特有の礼節や儀式などは、まったりとしたものが多く当然時間がかかるものが多いですね。無駄なことに時間を費やすことはままあります。それはしかし優美とかたおやかさという美徳に通じるものでもあります。相手に対する思いやりも関係します。しかし氏にとって、そういうのはすべて無価値なものであり、氏から見て「理不尽」なのです。デジタル思考ですね。コンピュータに感情がないのと同じです。

 

危機的状況においてはリーダーが一刻の時間も惜しまず素早い決断をすることは必要です。しかし平時は周囲と時間を取って話し合うことも必要です。というか平時に時間を取って周囲と意志疎通をするがゆえに互いに理解し、だからこそ緊急時の素早い決定に周囲は従うのです。吉村知事はそれを行っているのでしょう。これは私のリーダー論ですが、家康流です。堀江氏は信長流です。改革を成し遂げたのは信長ですが、長続きしたのは家康です。

 

命が関係する非常事態であれば、緊急時に椅子を倒していいかどうかを尋ねることはないでしょう。しかしそれは平時に十分時間を取って互いを理解しているかどうかです。

 

吉村知事がパチンコ店名公表という強硬手段に出たのも一刻も早く事態を収拾し、経済活動を再開したいからにほかなりません。急がば回れです。堀江氏は急いでいるときには一直線です。

 

一方身勝手に出歩いて周囲の時間を奪うことはかえって事態の収拾に時間をかけますが、山梨県に帰省した女性の例を見れば明らかです。しかしこの女性の行動は堀江氏の自粛厨を嘲笑う心理と同一で、ただ知恵がなかったのです。

 

そして時間最優先の観点に立てば、自粛期間中に川遊びをして自治体の時間を奪う行為に対してはむしろ批判する側になるのですが、自粛厨への偏見が強いあまり、価値観がぶれてしまいました。

 

ただ堀江氏がなぜそこまで時間を神としているのか。それは人生があまりにも短いと思っているからでしょう。能力があるだけにいろんなことを成し遂げたいのでしょう。「永遠の命」を、氏は気づかないでしょうがそれを望んでいるのです。それが叶えられないから焦っているのでしょう。

 

コロナ騒動は堀江氏の持つ「やばさ」を見る思いです。そしてそのやばさに惹かれる人が多いのです。