誰かが痛がる姿を見て笑うことは何かすごく残虐に見えますが、実はごく普通にみられるのです。
昔ドリフターズのコントのほとんどはそのようなものでした。上からバケツやタライ桶を落として笑ったり、床が突き抜け、壁が倒れて痛がる様子を皆笑っていました。この点はクレージーキャッツはそのような演出はあまりなかったので、上品でした。と言ってもハナ肇はしばしばひどい目にあわされていました。
どつき漫才というのがあります。下品な漫才ですが、昔は庄司敏江・玲児、今はカミナリですね。あとダウンタウンの浜田もよく人を殴ります。野卑な笑いです。
とは言いつつも、探偵ナイトスクープでも名作と言われるのが「爆発タマゴ」です。電子レンジでゆで卵を作るタマゴが爆発するかどうかという依頼でしたが、依頼者のキャラが際立ちその熱がる様子は大爆笑を引き起こしました。
そう考えていくと、教師いじめ事件で被害者の様子を笑っていた加害者たちを、自分たちとは異種の悪人とまで断罪することなどできないのです。つまり私たちもいつ何時そのような残虐性を帯びるかわからないのです。
熱湯風呂も、爆発タマゴも痛がる本人たちが納得の上ですので誰もいじめとは思いません。いじめは嫌がる相手に無理強いすることです。熱湯風呂も、爆発タマゴをもし相手が嫌がるのに無理やりすれば虐待になるでしょう。いわばいじめとは自分たちが面白がるために無理やり他人の痛がる様子を演出することなのです。
そしてその人の痛がる様子というのは何も身体的のみならず、心の痛みも含まれます。あいちトリエンナーレで多くの人の心を傷つけることが分かったうえで展示している津田大介氏も、表現の不自由展に対して必死に抗議する人たちの姿を見てほくそ笑んでいるのかもしれません。それを許可した大村知事の心根を疑います。
しかしながら他人が痛がる様子を楽しむという心理そのものが多くの人に共通するものであることは否定できないのです。そういう自分の持つ「負の感情」をいかにコントロールするか、そこに良心的であるかどうかが問われているのです。奉仕中のエホバの証人を写真にとって「おちょくっている」と表現した非信者がいますがこの人もイジメの精神に満ち満ちており、教師いじめ事件の加害者と何ら変わりません。
エホバの証人関連のブログなどで、真面目にしているエホバの証人をからかったり罵倒したりする人たちがいますが、大会をフラワーフェスティバルとか、歓迎をラブシャワーとかいう表現は間違いなく侮辱し、からかっています。そのような文字を打ち込むときのその人の表情はきっとニタリと笑っているでしょう。そのような人たちもその「負の感情」をコントロールできない人たちで、散々エホバの証人の指導者を糾弾しながらも、その手法においていじめ加害者と何ら変わらぬ精神を示していることになるのです。