ヘイト表現を平気で行うアンチエホバの証人グループ(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

あいちトリエンナーレでの展示が世間の怒りを買っているのは、何も「平和の少女像」という欺瞞に満ちた展示物だけではなく、昭和天皇の写真をバーナーで焼くような展示や、特攻隊を「間抜けな日本人」と侮辱する展示物なども含めての話です。

 

同様のヘイト表現が、アンチエホバの証人グループにもみられるのは極めて残念なことです。非信者のエホバの証人全否定者の言葉には「間抜けなエホバの証人」とでも言いたげにその言葉を駆使しますが、元エホバの証人の中にもそれに同調し、時にはさらに過激な表現を使ってエホバの証人を批判する人もいます

 

何より元長老だとか、元HLCで輸血拒否教理推進に大きく関わっていた人間が、エホバの証人に対してヘイト表現を使っているのはその神経たるや、あのあいちトリエンナーレでヘイト展示物を容認した主催者と何ら変わらぬものです。

 

そういった人や自身の行為を批判されたからと言って「ブログで何を言ってもいいじゃん。私たちは自由なんだから。その自由を『正義』の名を借りて批判しないでくれる?何にも書けないじゃない!」などと擁護するのもまた同様です。

 

あいちトリエンナーレの「表現の不自由さ」に抗議をする人は、「人を傷つける表現」をする人の権利を奪っているのでしょうか。

 

だったら、オフ会を潰そうとした人間のことを批判などしない方が筋が通っています。できますか?

 

人のことはいくらでも批判するくせに、自分が少しでも批判されればハチの巣をつついたごとく大騒ぎするそれって韓国政府とまったく同じです。実際ブログでのアンチエホバの証人たちの資質は本当に反日姿勢とことごとく似ています。彼らの態度にきっと共感しているかもしれません。

 

日本の国旗を燃やしたりしたり、安倍首相の顔写真を傷つけたりするのも、例えばものみの塔の出版物や輸血拒否カードを破ったり、ものみの塔の指導者の顔に落書きして喜んでいる姿とまた同じです。

 

別にそんなことしなくてもいいんじゃないか?と思いますね。個人的に破くのはいいのですが、それを公開することで、受けようとする精神が同じなのです。

 

「ロボット」という表現がヘイトかどうかは微妙なところです。しかしながら思考力のない「間抜け」めいたイメージを伝えようとしているのは事実ですし、覚せい剤使用者と同列視したところはややヘイトに分類してよいでしょう。

 

「正しいことを押し付けるだなんてエホバの証人みたい」とか「卒業とか言ってるが全然卒業してない」とかいう人もいますが、ではその言葉はその人自身が「正しいことを愛さないもの」と言われても仕方がないのです。エホバの証人であろうがなかろうが「正しいこと」であるならばそれを受け入れる姿勢こそが大切なことです。

 

「表現の不自由さ」を堅苦しく考えることなく、それは「していい表現としてはいけない表現」との区別がついているかどうか、その人の倫理性、道徳観、価値観、人間性などなど表していると自覚したほうがいいでしょう。