流れ出る心の”黑い血”は放置していいのか | 世の中とかなんやかんやに対する感想

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できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

前記事では止めたいと思っても止まらない、心の中から流れ出る「黒い血」に対して理解が必要だと書きました。ではそれが流れ出るのを放置してよいのか、ということを言っているのかとなるとそういうわけでは決してありません。放置すれば「気が遠くなる」からです。

 

現実にいったん止血したとしても、また傷口が再び開くこともあります。そんなときに多くの人は「自己管理がなっていない」とひたすらその人を責めたてるような真似は決してしません。そんなところをしたところで何の解決策にもならないでしょう。とにかくできる限りその「血」の流出を防ぐための手立てが必要です。まず個人個人の「出血原因」が異なるのであれば、その事情をよく聞く必要があるでしょう。対機説法というものです。それができなければいくら理想を言おうが、相手を説得できないでしょう。十把一絡げの説法は効果的ではないでしょう。

 

問題は「心の黒い血」が流れているのを見たときに、どう反応するのかということでしょう。「気持ちはわかる」という出発点があったとしても、そこである人はその気持ちをあおるようなときがあるのです。傷ついた心は、傷を与えた人を恨んでいます。そこでその人を利用し、自分が外野的存在であっても、自分のターゲットを攻撃するために使えると判断した場合にその気持ちをあおるのです。実に愚劣な方法です

 

傷ついた人がAさんだとしましょう。ここでBという人間が、自分の天敵Cを攻撃するために、Aさんに同情しているふりをしてCを攻撃する材料としてAさんを利用することもあるのです。このようなことを平気でするBは実はAさんに対して愛はありません。そういう人はエホバの証人にもいました。

「JW流1」

https://ameblo.jp/1-drop-in-the-tub/entry-11745738653.html

 

このような利用のされ方をしたAさんは、ますます傷つくようになるのです。実際出血している人に過激な運動をさせると心臓は活発に動き出血量は増します。安静にさせることが大事なのです。心の中から黒い血が流れ出ているときも同様で、ますます負の感情をたきつけるようなことをすれば、出血量は大いに増します。

 

アンチエホバの証人たちがSNSで行っているのは、このような場合が大いに見られます。ですから最初はそれほど大した「出血」ではなかったのに「煽り屋」のせいで格段にその黒い血の「出血量」が増すのです。

 

懸念すべきことはそのことではないでしょうか。最初から「毒親と呼ぶのは間違っている」と全否定するのではなく、その感情が大きく成長することのないようにすることでしょう。そのために何ができるかを論じることが求められます。

 

というのもそのような煽られた負の感情は、今度は自分が他の人のことを「想像力を使って」考えることができず、他の人を攻撃するようになるからです。その時にそれをやはり指摘することは大切なことですし、気づかされた人は自分の立ち位置を見て驚くこともあるかもしれません。

 

多くの場合自分の親を「毒親」と呼ぶ人たちは、自尊心が大きく損なわれた接し方をされ、そのまま日々を送っています。であればその自尊心を回復するようにその人の良いところをお世辞ではなく伝え、長続きする友人関係を築くことです。落ち着かせ、安静にさせることです。それを「毒親と呼ぶのは人間としておかしい。」というような言葉をかければ、ますます自尊心は低くなり、その人の中に「自分の親は毒親だ」という思いを固めるだけでしょう。自尊心の低さと「毒親」という認識がリンクしている以上、自尊心を低めることを言えば即「毒親認識」は連動するのです。逆効果なのです。

 

自尊心が高まれば、自分の親が「毒親」であることを否定できないにしても、黒い血の出血量はいつの間にか少なくなるのではないでしょうか。ただ表面的に血を止めても身体の中で出血は続き、やがて「術野」すら見えなくなり、事態はより深刻になるばかりです。手の施しようがなくなるのです。

 

自分の親を「毒親」と呼び、事実そうであるとき、その人は助けを求めているのです。その助けとは「自尊心を高めたい」という悲壮な思いなのです。