反権力・反政府系コメンテイター&政治家たちならばなぜオウムがあのような行動をとったのか、その心理をある程度はわかるのではないのでしょうか。
とにかく何かにつけて政府批判をし、常に誹謗中傷を繰り返します。政府のやることなすことに反対しています。総選挙で大惨敗を喫したオウムは武闘戦術に転換しました。左翼系野党も選挙で大惨敗を喫し、いまだに支持率を回復できないのにもかかわらず、相も変わらず国会でやっていることと言えば、否決されるのがわかっている不信任案提出とか、証人喚問要求などをし、誹謗中傷を繰り返すことしか能がありません。さらにその誹謗中傷を垂れ流すマスコミとコメンテイターたち。
自分たちが認められない不満を、相手を攻撃することで満たそうとするのはいずれも高学歴の自称知識人たちです。オウムに高学歴の人が多いということですが、コメンテイターたちや「解説委員」も学歴だけは高い人も多いです。公共の電波という「武器」を自由に使い、反権力の姿勢を出せばヒーロー気分。
オウムも反政府の姿勢を打ち出しました。麻原の説法では「政治権力を握るか、武闘戦で出るか」の二者択一を示していました。左翼系政治家の現政府への常軌を逸した暴言や、国会での礼を失した質問の仕方をするのがカッコいいと勘違いしている議員たち、何か悪いことがあるとすべて安倍首相批判につなげるこじつけ批判などを見ていると言葉による暴力を繰り返しています。実際に人を殺めるかどうかの違いだけで、その精神態度には共通したものを感じます。
したがって反権力コメンテイターたちが「わからない」というのは、その反権力の態度が「殺人」の域にまで達したことが分からないとはっきり言うべきです。心理的には共感するということをはっきり述べるべきです。それは紙一重です。反権力コメンテイターたちが「真相の究明を」というのは、要はオウムに「現政権に対する不満を持っている」ということを言わさしめ、それを政府攻撃の具にしたいだけです。
反権力は、確かに権力が間違った方向へ行くと思うときには、勇気をもってそれを表明することは大事だと思います。しかし今は権力が右と言えば左と言えば右という「ただ反対するためだけの反権力」を恥とも思っていません。反権力は政府が失敗することをひたすら願っています。本当は拉致問題が解決することなど願っていません。成功してもらっては困るのです。
政府の出す法案に対し「共謀罪」とか「戦争法案」とか自分たちが勝手に名付けた印象操作を伴う名称を付け、それで批判するのです。働き方改革に関してもそうです。完璧な法律などありません。
今回の法案も「時間外労働(残業)の上限は「原則月45時間かつ年360時間」と明記した。繁忙期などの特例でも月100時間未満、2~6カ月平均で80時間以内、年720時間までとし、違反した企業側に罰則を科す。」のですが、この言葉に難癖をつけて「だったら100時間までの残業を認めることになる」と言います。それまで無制限だった残業に上限を設けることの意義など認めようとしません。
そういう政府批判を真に受けで、「私の好きな日本がおかしくなる」とかいう人もいますが、そういう人がカルトにはまるのです。不満不満不満。それはカルトにはまる要因なのです。