いくつかの部分が集まって整然とした秩序のある所には知恵があるというのは、たぶん常識的なものではないでしょうか。
マッチ棒で作ったオブジェです。
整然とした秩序が見られます。これがマッチ箱が多数ある場所で地震が起こり、偶然にできると考えられるでしょうか。それとも誰かが意図を持って作ったと考えられるでしょうか。
一つだけならまだしも複数ある場合はどうみなすでしょうか。
より多くの知恵と労苦が反映していると言えないでしょうか。それとも一つが偶然できるならば複数であっても偶然にできると思うでしょうか。カラフルな色合いですが一つのオブジェにすべて同色のマッチが集まっていますがこれも偶然によってできるのでしょうか。
割りばしで作ったオブジェです。
直線が集まって見事な曲線を描いています。それぞれの割りばしがその役割に従って全体の中で配列されています。複雑な秩序には設計が見られますし、知恵と芸術性が反映しています。これは割りばしが偶然に何らかの力で自然にできるのでしょうか。もしこれを作った人はいればそのような言葉を聞いてどう思うでしょうか。
セオ・ジェンセンという方をご存知でしょうか。実際に存在している美術家です。その人が作ったオブジェです。
みごとですね。美しいですね。実はこれ、主として風の力で動くのです。まるで生きているようです。癒されるかも(笑)
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https://www.youtube.com/watch?v=LewVEF2B_pM
このyoutubeの表題には「EVOLUTION」(進化)と付いていますが、これって自然に進化したものでしょうか。「関節部」などの複雑な動きは明らかに高度な知恵が見られます。マッチのオブジェがここまで進化すると思うでしょうか。ジェンセンに向かって「あなたが作ったとか言っているけど、それは嘘だ。これは自然にできたものだ。」という人がいるでしょうか。
マッチのオブジェはもうそれで完成品です。ここまで進化を必要とするでしょうか。「生物だから違う」というのはここでは無視します。それは「生命」という別の領域の論議です。要点はあくまでも「整然とした複雑さには知恵が反映される」ということですので。
国立科学博物館には恐竜の骨格が展示されています。
天井の格子をご覧ください。整然と秩序だった正方形が並んでいますが、これは自然にできるものでしょうか。空調機と思われる部分は長方形が整然と並んでいます。自然にできるものでしょうか。恐竜の骨格は整然と秩序だって並んでいます。関節は複雑な作りです。自然にできたと考えられています。
福井の恐竜博物館に行ったことがあります。そこでは恐竜の骨格模型の多くは全体の一部(たとえば尾の部分)だけが化石などで発見された場合、そこから全体の骨格を推論し、いわば学者の「思想」のようなものが反映し、全体像を想像して作っているようです。つまり恐竜の骨格は、人間が意図的に「作った」ものがあるということです。でも多くの人はその「想像の産物」を実際に存在したものだと解釈しています。でもその想像の産物の整然とした骨格は人間が「作った」もので、自然にできたものではないのです。
恐竜の存在は事実でしょう。ただそれが自然にできたものかどうかということです。