さらにもう一つの視点 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

さらにあと一つの立場について考えてみます。それはBさんです。Bさんは今何をお考えになっているのでしょうか。どう思っておられるのでしょうか。

 

おそらく勇気を出して一人で初めて参加されたオフ会で疎外感を感じたのかもしれません。一人だと寂しいですよね。周りが楽しそうにしていると余計にそう感じますよね。「怖いので意見が言えなかった。」ということですが、何が怖かったのでしょうか。周囲が皆、もはや信仰を持っていない人がいてそれだけで何か無言の圧迫を受けたのでしょうか。それが怖さにつながったのでしょうか。

 

ずっとJWのレクレーションを楽しんでこられとても良い思い出があるのでしょう。JWのレクレーションはきっと費用は安いものだったので、4000円は高いと感じられたのでしょうか。そうですね、JWは安くまかないますが、それはたぶん同じ会衆で家が比較的近いところにあるので腐りやすい食材なども短時間で持ち寄ることができるからかもしれません。

 

レクレーションがなかったということですが、芋煮会そのものがレクレーションだと思うのですが、何かゲームのようなものを指しているのでしょう。初めて来た人にとってはそのようなゲームがあれば、みんなと打ち解けやすいかもしれません。JWだったらそういうのはありますから。それでもまた次回も参加したいというお気持ちをもたれたのはどこかに楽しかったという記憶があるからでしょう。

 

まみみさんの謝罪の言葉を恐縮しておられました。ゴンさんの言葉はいかがでしたか。ゴンさんにはしっかり届いたようです。どうやらもともとのコースが高かったようです。Bさんはお金の行方を疑問に思い、それが解決されれば十分ですとおっしゃいましたが、ゴンさんの説明を聞かれた後、まだ領収書がないということで不十分だと思われるのでしょうか。主催者が金儲けをしていると思われましたか。

 

意見そのものよりも、意見が怖くて言えなかった理由のほうが重要な気がするのですが、なぜ怖かったかを今回の件で直接主催者に言ったほうがいいような気がしますがいかがですか。ゴンさんの言葉の後でBさんがどう感じられたのかがとても重要なことだと思います。

 

「楽しかった雰囲気を壊したくないし、繋がっている方々に嫌われたくない。」というお気持ちがおありだったようですが、そこまで周囲に気づかいをされるBさんは今はこうなってしまってその気持ちはどうなっているでしょうか。「我慢して言えなかった」という残念なお気持ちは、ゴンさんが殺人犯のように言われることでスッキリしたのでしょうか。ゴンさんがあそこまで言われるのはBさんが残念に思われた対価としてはあまりにも大きすぎて理不尽だと思いますが、どうお感じになられたでしょうか。主催者を不誠実だという批判はその通りだと思われますか。Bさんも領収書がないと納得できませんか。ゴンさんやその仲間の方々、そしてBさんと繋がっている方々はどんなお気持ちかは推察できると思います。Bさんも辛いのではないでしょうか。もうオフ会に出るのに躊躇せざるを得ない気持ちになっても不思議ではないと思います。

 

 

Bさんは今どうしていいのかわからないのではないでしょうか。Bさんも追い詰められている気がします。こんな大ごとになるとは思わなかったのではないでしょうか。あんな記事が出るとは思っていなかったでしょうね。

 

Aさんは「二度とオフ会にはいかない。」と言われました。Bさんは「また行きたい」と言われました。夏オフ会は本の紹介や権威者の出席などによるある種の空気間の醸成があります。芋煮会はなさそうです。夏オフ会はシンさんの試算では70~80万のお金が動きます。芋煮会は20万円のお金です。夏オフ会の主催者は黒字だとおっしゃいました。芋煮会の場合は最終的には赤字だったようです。夏オフ会の場合は、内訳を主催者は言われませんでした(いう必要はありませんが)。芋煮会は内訳とそうなった事情も主催者は説明されました。

 

比べればわかるように第三者から見て後者のほうがお金の動きの透明さは理解できます。また疑問に思ったとはいえ参加者AさんとBさんの反応も異なります。そして「人当たりは良いが実際は不誠実だ」という印象を少なくともBさんは持たれなかったと思います。でなければ「また行きたい。」とは思われなかったことでしょう。

 

なのにシンさんは主に後者を攻撃対象に据えました。目の敵にしていると言っても過言ではありません。

 

そして最終的に「また行きたい」とおっしゃるBさんを追い詰めているとしたらと仮定しての話ですが、シンさんが離間の策の道具として選んだBさんは大きな痛手をこうむったことになります。Bさんの気の弱さを事実だと考えるとそういう図式になります。そうなると「誰の益のため」にシンさんは戦かったのでしょうか。今Bさんが恐れているのは誰でしょうか。Bさんのご意見はAさんよりも全体に不満度は低いように見えるだけに、ご自身の意見がAさんよりも主催者攻撃のために利用されるとは思っていなかったのではないでしょうか。

 

芋煮会の支出説明を詳細にされ、また領収書がなくても十分説得できる補完資料を用意されたゴンさんは決して不誠実ではなくむしろ誠意ある対応をされていると判断します。本論に触れようとしたゴンさんを拒否したのはシンさんであり、それをもって本論に触れていないというご指摘は不適切だと思います。どうもシンさんは自分が説得されようとしたときに「懐柔」という言葉を使われるようです。しかしそれは「容易に合意しないもの」になると思います。

 

シンさんは「争いは好まない、平和を愛するが、売られたケンカは買いますよ」とおっしゃっていましたが、今回の件はシンさんにはケンカは売られていないと思いますよ。