列王第一3章。二人の遊女が赤ん坊の親権をめぐって言い争った。二人は同じ家に住みほぼ同時に子を産んだ。そして片方の子が亡くなったので、双方が「生き残ったほうが我が子だ。」と主張する。ソロモンは「ではこの赤ちゃんを切り裂き二つに分け、それぞれが片方ずつ受け取るがよい。」と言った。此方の母親は「それならばこの子を殺さず、相手に与えます。」と言った。彼方の母親は「ではそうしましょう。」と言う。ソロモンは前者の母親こそが真の母親だと裁きを下した。
後に、この話を受け継いだと思われる大岡政談では、親権を主張する二人の母親に対し、双方が思いっきりその子の手をそれぞれ強くひき、奪い取ったほうが子供の親であると言い渡す。左右の腕を力の限り引っ張られた子供はその痛さに泣き叫び、やがて哀れに思った片方の女性が手を放す。勝ち誇った相手の女性に対し、大岡は痛罵し、手を離した母親こそ真の母親だと裁く。
いずれも子供の福祉を真に思いやる母親こそ真の母親だということを教えるものだ。その福祉を思いやるというのはあまりの激痛に泣き叫ぶ子供を見ていられないという母性に訴えた裁きである。
激しい鞭をし、子供の泣き叫ぶ声を耳にしながらなおかつその鞭の手を緩めなかった母親が、子にしてみれば鬼に見えるし、母親の資格などないと思う気持ちは当然だと思う。それは「我が子を切り裂いてください。」と言った遊女や、わが子の手を思いっきり引っ張った母親の姿と重なるものがある。それぞれにしてみれば言い分はあろう。「王がそういった。私はそれに従っただけだ。何しろ王の言葉は絶対だ。」「奉行がそういった。奉行の言葉は絶対だ。」
しかしソロモンにしても、大岡にしても本当にそれを実行しようとしたわけではない。あくまでも親の愛を試すためであり、しかもそれは自分の言葉に聞き従う親の愛ではなく、自分の言うことに従わなかった親の愛を知るためのものである。我が子の命乞いをした母親こそ真の母親であるとソロモンは断を下した。
WT組織にしても聖書を学んだ当時、ほとんどの母親は激しく鞭をするような母親ではなかったはずだ。にも関わらず、子育てをした経験のない長老や特別開拓者たちがこぞって鞭を奨励し、親がしない場合は「こうやってするんですよ。」と鞭をする「模範」を示した人もいる。子供にしてみればそういう長老に対する憎しみは根強く持つし、そのような傲慢な長老や特別開拓者に従った親を憎むのである。長老や特別開拓者はソロモンのように親の愛を試したのではない。実際に子を切り裂き、この腕がもげるほどの体罰を良しとしたのである。それはキリスト教に改宗前のサウロに似ており、クリスチャンになった姿ではない。
聖書は一貫して子供への虐待を非としている。バアル崇拝で子供を火あぶりにする親の姿をエホバは嫌悪した。ソロモンは子を愛する親は子供を決して犠牲にすることはないとしている。子育てをする際には「子供をいらだたせることなく」育てるようにエペソ書には書いてある。
今でも組織はソロモンの裁きを知恵あるものとし「聖書のメッセージ」のセクション10ではソロモンのこの裁きを取り上げている。あまりにも有名なこの記述はさすがに組織上層部であっても知っているらしい。しかし彼らはソロモンの知恵を学んでいるのだろうか。
確かに今では過激な体罰はなくなった。しかしその精神は継続中なのである。それが完全忌避の徹底強化である。完全忌避はもはや子との縁を切ることである。これは事実上子を「死んだもの」とみなしており、親にとってもはや子は存在する。子がいくら親の愛を欲しようと、親はそれに見向きもしない。それはバアルに対し火の中に我が子をくべた親の姿に等しい。完全忌避は「子を二つに切り裂く行為」に他ならない。
学校内でのいじめ事件は以前よりより目立たぬようにより陰湿なものへと変化しているという。(根本的に言って「さわやかないじめ」などあろうはずがない。「いじめ」はすべて陰湿なものである。)体罰をしない代わりに、完全忌避を実行しないものも今度は完全忌避されるという罰則を設けることにより我が子を「切り裂く」精神を助長する組織上層部の指示はより陰湿になっている。体罰も完全忌避も「いじめ」なのである。
あるブロガーが協会の出版物を読んで「これはまさに聖書そのものだ。」と思ったと書いているが、その人も聖書の本質は理解など全くしていない。聖書の本質を理解していないというのは人間というものの本質を理解していないのである。残虐な「いじめ」精神を助長する組織の完全忌避を擁護するがゆえに、助長された残虐な精神がブログの文言に反映されている。結局は聖書そのものの価値を自ら貶めているのであり、それは冒涜以外の何物でもない。
統治体をはじめ日本支部などの指導者層は、見かけはいかにも聖書に通じているようだが、その実質において「聖書読みの聖書知らず」になっている。