組織が仕向けた全否定思考ゆえの「クラッシュ」 | 世の中とかなんやかんやに対する感想

世の中とかなんやかんやに対する感想

できるだけ俯瞰して世の中のことについて書いてみたいと思いますね。

 

少し前に全否定思考者は組織がそれを率先して作り出したことについて触れたが、たとえがまだ甘かった。


「右にも左にもそれてはならない」「魂と思いと心を込めてエホバを崇拝せよ」「主の業を一杯に持ちなさい。」「世と世にあるものを愛してはならない。それらは過ぎ去りつつある。」などなどの言葉は、まるで高速道路をクルマではなくバイクをリミッター解除で走らせるようなものだ。


 同じ速度を出していてもクルマよりもバイクのほうが視野は狭くなる。また身軽だが、身体はむき出しなので事故れば致死率は高い。身体に当たる風の抵抗もクルマにはない厳しさがある。


 クルマですら、軽自動車と大型トラックとでは同じ100/hでも体感スピードは全く違う。バイクはなおさらだ。また軽自動車のほうがはるかに視野が狭くなる。また高速道路の遮音壁も運転席の高いトラックでは壁の向こうの景色も見えるが軽自動車は視野が閉ざされる。それでも身体に風が当たらないから、体力の消耗度はバイクとは段違いである。


 WT組織の教えは、それこそ安定した生活を送ることを勧めないので、霊的体力の消耗度は安定した生活を送っている人たち(例えば統治体や支部委員、ベテル上層部ら)に比べれば、はるかに高い。どうでもいいようなこと(乾杯とか格技とかの拒否などその他の聖書的に根拠のない規則)を設け、世からの「風当り」を強くする。ベテルで安穏としている連中はこういった面倒くさいことに直面しなくていいのではるかに日常生活は楽なのである。まさに自分たちは高級外車に乗り、たらふく腹を肥やしながら、末端信者を暴風雨の中をバイクで走らせるような者どもなのである。ただし「安全のためにヘルメット(=エホバの保護)はかぶりましょう。」くらいなことは言う。


 それでいて「あきらめるな」とか「うみ疲れてはならない」と言って走らせるあきらめさせ」「うみ疲れさせ」ヘトヘトにさせているのはお前たちではないか。


 周囲を見せようとしない。ただひたすら「世全否定思考」を培わせる。


 特権などをえさに、何も知らない信者を暴風雨の中、バイクにリミッター解除で走らせる。そういったレベルの問題である。バイクの場合はバランス感覚を失えば転倒する。そのような生活などしていればバランス感覚を失うのは目に見えている。



そしてクラッシュする。