「神は我々を見放した!」(JWORGジョルグ山 霊的死の彷徨) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

(この記事は2016年9月9日に書いたものです。)

 

元の台詞は「天は我々を見放した。」である。映画『八甲田山』の中で発せられた。新田次郎の『八甲田山 死の彷徨』を原作としている。

 

「八甲田山雪中行軍遭難事件」をご存じだろうか。雪中行軍は明治時代、当時の日本軍が、開戦前夜の日露戦争において満州で経験するであろう寒さに備え、兵の訓練のために行ったものである。詳細はネットで調べれば知ることができる。

 

映画の中では、上官の命令にはただ従うだけの軍人が、その上官の指示のもと吹雪の雪山の中を二列縦隊で隊列を組んでひたすら歩き続ける様子が描写されている。過酷な寒さと激しい空腹のために、幻影を見て裸になって川へ飛び込むものや、気がおかしくなるものもいる。そして飢えと寒さで命を相次いで落とすのである。行軍参加者210名中199名が命を失ったことからもその悲惨さは伝わるだろう。

 

上官が右へと言えば、右へ行き、左と言えば左に行く。隊列から離れて一人で歩めば、猛烈に吹雪く白い世界の山中、どこを歩めばいいのかさっぱりわからない。だからせめて仲間とともいてともに励ましあうことが良策だと思うのだろう。経験のある上官に従っていくほうが自分一人で行くよりは安全だろうと一種の信仰めいたものが働いていたのかもしれない。

 

ほんの短い距離の目的地であったのも関わらずわざわざ回り道をし、助かるはずの命も助からなかった。行軍前には地元の道案内人は「やめたほうがいい」と言ったが、司令官はその助言を聞かず強行した。プライドが邪魔をしたのか、それとも市井のとるに足らぬ一民間人を軽視していたのか。なにしろ司令官は雪中行軍の経験を積んだ者だった。

 

八甲田山は青森県にある。青森市内から八甲田ゴールドラインを走行すると萱野高原という見晴らしの良いところに出る。途中の「ながいきの茶屋」で一息入れ八甲田連峰を遠くに見る。夏は涼しく、秋には絵巻のような紅葉が広がる。冬にロープウェイに乗ると樹氷が見られ、晴れた日には青森市が一望できる。場所によっては青森のもう一つの美峰である津軽富士=岩木山が見える。

 

標識を手掛かりに左折すると、銅像茶屋というのがある。そこには当時の軍装などが展示されている。犠牲者の名簿や写真などもある。生存者と言ってもほとんどは凍傷にかかり不自由な生活を強いられた人もいる。銅像茶屋から5分ほど歩くと見晴らしの良い丘にりりしい姿の兵士の銅像がある。そのままの姿で仮死状態にあるところを発見されたという。青森市内には資料館もある。

 

八甲田山の悲惨な経験をした人にはしかし次のように言われる。八甲田山で見たことは一切口外ならぬ。」 おそらく士気に影響するとか言われるのだろうが、実質は軍司令部の責任回避の意図もあるのだろう。

 

統治体は「タッキング」と称してはいるが、それでもまだ目的地に近づいているならまだいい。実態はしかしますます聖書の精神から離れ、欺瞞の限りを尽くす道を邁進している。目的地からどんどんどんどん離れていっている。それはもう前後不覚の状態に陥っているのであり、聖書預言がいったい何を意味しているのか、もう全く混乱し、霊的には錯乱状態になっている。それでもなお権威を振りかざして指示を与えている。一般信者の言葉には耳を貸さない。そしてその指示に従う人たちは、もう組織から離れてはどこへ行けばいいのかわからないのでとにかくゾロゾロついて行くしかない。まさに霊的雪中行軍。霊的死の彷徨をしているように映る。さていつ組織が「神は我々を見放した。」というだろうか。それこそ悲しい発表だが、そんな発表をすることは期待できない。人的に判断するしかない。 「神はお前たち統治体をとっくに見放してるぞ」と。

 

ああ、思い出した。そういや私も言われたことがある。巡回がらみの長老たちのおかしな動きを次の巡回に告発したら 「兄弟、このことは決して口外しないでください。躓く人がいるかもしれませんので。」 とか。それほどのことだったということだ。その後地域監督になったそうな。地域監督制度はもうなくなったそうだが、組織で用いられるのはそういった類の男である。くだらなさすぎる。