感覚的な話になります。
かなりアバウトいい方になりますが、よほど心を許す人でも付き合いはやはりフィフティーフィフティーじゃないかなと思いますね。それが共依存を防ぐのに必要でしょうね。
互いを尊重し、信頼のもとに波長の合う人がいたとしてもですね。
要するに自立心を持ったうえで、なおかつ過度な干渉もしない。
互いを短期間で深く知ろうとすると大抵は齟齬が生じると思いますね。
自分の作品に手を加えていたミケランジェロの言葉がありますよね。
「私のする作業は些細なものかもしれないけれど、それで出来上がった作品は決して些細なものじゃない。」というやつ。
あれはいろんな適用ができますが、人間関係にも当てはまる気がしますね。
一つ一つ互いの歴史を通じ丁寧にゆっくりじっくりと育てていくもの。
焦ると壊れます。すべてを知ろうとするとこれまた壊れます。
WT組織にいると互いに監視し、互いに干渉しあう関係が出来上がると共依存になってしまいます。
でもそれに慣れてしまうと、今度は組織から離れると果たして良好な人間関係が築けるかどうか不安になるかもしれません。
でもスキルはあるはずなんですよね。奉仕なんかで知らない人と話をする訓練は身に着けている場合が多いですからね。
勤勉であることも評価される要因ですね。
有能さが求められる仕事も多いですしね。
また良心に基づいて仕事をすれば、やっぱり信頼は得ます。
「良心的にできないこと」ってありますからね。
金銭の絡んだことは特にそうです。
「正直は最良の方策」とは聖書の言葉ではありませんがよく言ったものです。
何よりも真剣にJWやってた人は常に相手に対する愛を培おうとしてきたはずですからね。
良好な人間関係にとって最も必要なものを常に考えてきたはずですしね。
それを徐々に出していけばいいわけですね。
見返りを期待しない程度の小出しを重ねることですね。
「愛だ、愛だ」と宣伝するのではなくさりげない気づかいを随所に示すこと。
示された親切には感謝すること。
相手の全体を見たうえで個々の言動を解釈することも大切ですね。
「木を見て森を見ない」ではなく、「森を見て木を見る」ような感覚。
周りは関係ないんですよね。自分がそういう気持ちを持って組織に交わってきたかどうかなんです。
その気持ちさえあれば必ずそういう自分を好いてくれる人や評価してくれる人はいます。
それでも気を付けなければならないのは、WT組織にいた時のような人間関係を求める場合でしょうかね。
ま、組織にいた時の共依存を持続しないことが必要でしょうね。
感覚的な話になりますが、組織にいるときは「世の人」とはほぼ0%、信者同士なら70~100%であったかもしれません。でもそういう関係が異常なんですよ。
それほど知らない人でも10%くらい、安心できる人でも20~30%くらい、余程信頼できる人でも50%を超えると双方が負担に感じるかもしれません。
そういう意味では予防線を張っておくことは賢いでしょうね。
10~30%くらいの人が周囲にたくさんいると結構落ち着けるし、自分に注意を向けることもできますね。
組織以外の人とどう付き合っていくということで不安や悩みを持つのではなく、自分自身をどうコントロールしていくかが重要だと思いますね。JWとして歩んだ人生で培った資質が本物ならば決して恐れることはないはずです。
量より質です。人間関係は。