「組織離脱」と「希望の消滅」 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

WT組織をどんな形であれ離れるにあたって多くの人が、怒りと憎しみの感情に襲われる一つの理由は「希望の消滅」ではなかろうかと思うことがあります。


JWとして決して楽しい日々ではなかった中でも、何とか組織にとどまっていた理由の中に「組織とともに歩むことによって、やがて来るハルマゲドンで生き残り、楽園での生活を楽しむことができるんだ。集会も奉仕もそのためにしているんだ。」という人も少なくないと思います。


しかし、組織の裏面を知り、この組織が神の組織ではないことを知ったとたんに、実は同時にこの希望も消滅し、その結果今までの苦痛だった日々が一気によみがえり、「あの耐えた日々は何だったんだ!」という凄まじい反動があるような気がします。


というのも組織の提案に従っている限り、永遠の命の希望を持てると思い込んでいたので、その提案に従うことが至上命令になっていたわけです。


この辺りは自戒も含めてですが、今にして思えばそれは非常に安易な考えだと思いますね。特に何も考えず、特に神への愛もなく、ただレールに乗っかっていれば自動的に神の是認を受けることができるという思考に陥ってしまったのですから。自分で考えないで他人に任せる信仰でした。


実際ほとんどの人は神からの直接の啓示なんか受けるわけはないと思っています。ですから信仰を持っただけで救われるかどうか自信がない。そこへ統治体なるものが「神への唯一の経路」だなんていうものだから、ああ組織の指示に従う限り、救われるんだなという依存度が高まるわけですね。


だから嫌な伝道にも出た、ウザい長老の酷い言葉にも我慢したわけですね。それも救いへつながると思っていましたから。実際耐えることによって「自己犠牲」を払った気になりますから、何となく神の是認を受けるような気になるのも心理的には理解できます。


そこでそれが無くなるものですから、はっきり言って戸惑うわけですよ。どうすれば自分が救われるかわからない。奉仕もしないのに救われるのかどうか不安でしかたがないのです。たぶん今なお組織にとどまっている人たちは、そういう気持ちで、つまり自己犠牲を捧げている限り自分の救いは成し遂げられるという思いの人も多いと思いますね。組織から離れると、とにかく救いを求めるためにだれかに助けてもらうためにさまようのです。信仰者のつらいところです。


なんにしても、組織から離れることで自分が救われる手立てを失ったような気がして、やがてもう聖書の差し伸べる希望なんか生活の中で薄れていくような気もします。考えると自分が滅びるような気がして考えたくない気もするかもしれません。


確かにWT組織は神を正しく伝えていません。それゆえ組織の言うところの千年統治だとかいうのも正しいかどうかわかりません。


あ、そうそう、組織の言うところによると楽園での生活で「君たち」と呼ばれる地上の管理をするものが登場するのですが、その人たちはハルマゲドン前の神の組織で長老だったものがそのまま任命されるだろうとかいう解釈があって、それを聞いた時に「なんて権力欲を煽るんだよ!そんなことわかるかよ!」と思ったことがありましたね。でもね、この組織で長老であるものの中にはそういう権威に対する執着心は一般の企業における役職に対するものよりも強いんですよね。


でも私が思うに、それで希望の消滅までする必要はないと思うのです。


「私は真理であり、命です。私を信じる者はたとえ死んでも生きるのです。」というキリストの言葉は何を意味しているのかは分かりません。ヨハネ14章や15章で最後の晩さんの時におっしゃられた希望の言葉をどう解釈していいのかはわかりません。


しかし、どんな形であれ、もし信仰者に救いが来るのであるならば、当然組織から離れてもその希望を持ち続けるのはいいんじゃないかと思います。そしてその信仰はキリストの言葉を自分が生活の中でどのように、適用していくかが重要になると思います。


仕事でも家庭でも、良き雇用者、良き雇用人、良き夫、良き妻、良き親、良き子供になる面でどう聖書の言葉を適用できるかを考えることは大事なことだと思います。もちろん失敗もします。過ちも犯します。でも組織の中にいるズルい長老たちがよくしていたように、不完全さを言い訳にするのではなく、自戒と内省をしながら神との波長を合わせ続けることが大事だと思います。


私は組織にとどまるなら救いから離れていくと思いました。盲目の案内人に導かれ、穴に落ち込むのが嫌だったのです。組織とともに歩むというのは滅びへの道筋だと思いました。


私の場合は組織から離れることによって、希望がより鮮明になったのです。