2世が自己評価できない時期に、周囲が勝手におだて上げ
自己吟味をしないまま波に乗せようとする大人たちも責任は重大だと思います。
そういう子どもをもてはやすうちに結局プライドばかりやけに高い「モンスター」を作り上げるわけです。
多少ちょこちょこっと知恵を働かせるだけで大人をだまし、「模範的な」子どものふりをする人たちは総じて目上の者に対する敬意などなくなっていきます。
私がJWの子供たちに対して感じていたことがありまして…
当時の認識での話ですのでご容赦願いたいのですが。
野外でも聖書の言葉を聞く人はほんの一握りの人であり、極めて狭い門だと思ていました。いや、だからこそ野外奉仕の価値があるという動機付けにもなったわけですが・・・
それでもやはり世間の圧倒的大多数は聖書に耳を傾けないのは事実です。
にもかかわらず、ただ2世というだけで救いの道が開かれるというは不公平な気さえしました。
つまり聖書の言葉に反応する比率は1世であろうが2世であろうが同じでなければ平等ではないと思っていました。
親がJWというだけで救いの道が大きく広がるというのはあまりにも恵まれているという考えです。
逆に言うと、聖書を知らない多くの一般人がもし神からの不利な裁きに会うのであるならば、
2世の中でも不敬虔なものが大勢あらわれても不思議ではないという考えです。
ですから離れる人が出ても何ら不思議ではありませんでした。だからこそ子供に幼いころにバプテスマを受けさせることには好ましいとは思っていませんでした。
勿論2世の中にもかつてハリーさんが私の記事のコメントで書かれたように、自分の意志で決定してきたという人も多かろうと思います。そのように自分の歩みをしっかり見定めながら歩む2世は私の周囲にも大勢いました。そのような方々は高い自己評価ができる人たちだと思います。
正しいことが何かがわかるから、たとえ信仰心がなくても間違ったことはせず、組織から離れてもそういった自尊心を発揮して歩むことができる方々だと思います。
確かに信じていたものが幻であったことに気が付くと一時的に絶望状態になることはあるでしょうが、その状態から抜け出せるのも自分を高く評価できるかどうかだと思います。冒涜的な組織での嫌な思い出に自分のこれからの人生が左右されることほどバカげたことはありません。
見限った組織での待遇や処置などに拘泥されているようではますます自己に対する評価を貶めるとしか思えないのです。