やきとり 1-9-12-705のブログ

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かわいい女がいると、男がわらわら寄って行って、その人が笑う姿を盗み見ながら自分も話せないかってチャンスを狙ってるの

 

なんだかそれがすごいイヤ

 

そりゃおれだって、そう思ってる

 

どうにか自分と彼女の会話に持ち込めないかって狙ってる 時もある

 

そうしながら周りにいる自分と同じような男たちに目を向けるとそれがなんと情けなく映ることか

 

みんな次のチャンスはどこかって指をくわえて待ってる

 

おれにはそれが

まったく、どいつもこいつも…
特にツイッターとかインスタで
『#彼女と○○デート♡』とか『#今日で1年#ずっと一緒にいようね♡』とか なんなん?!?!
あと他にも、友達5,6人とかで遠出でもして
『イツメン』とか『最高の仲間』とか『青春の思い出』とか
書いてるやつら…
ほんとに…  幸せにでもなってろ

 

どうせさぁ、お前らみたいなやつってはずっと仲良し同士だし
これからも友達や恋人に恵まれるんだよ
将来仕事についたら周りから感謝されて後輩からも先輩からも慕われるヤツになる

大事な仕事も任されるし毎回毎回成功してずっと絶好調に悩まされるんだ

しかもパートナーとか家族ともずっと仲良く暮らしてよぉ
誰も病気もケガもしないでいつまでも五体満足でいやがるんだろうよ

 

そうだ、あと、

お前らなんかなぁぁぁ、子宝にでも恵まれてろ!
恵まれ散らかってろっ!!望んだだけ子供生まれろ!!!
…そうやって過ごしてればいいよ お前らみたいなやつら


誰にも見捨てられず、温かい言葉をかけられ続けて
それから弱者の痛みが分かって分かち合えるんだろ?え??
それで幸せの輪が広がって周りも巻き込んでくんだろうよ
死ぬまで喜びの悲鳴に震えて生きてろ
俺が一っっっ生祈てやるから 

末代まで幸せになれるように祈ってやる
覚悟しろよ? な?? いいかおい?? こっちは本気だかんなあ?
毎年初詣で祈ってやるよ
みんな今年も健康でいられますようにって

怖いか?もうおせえんだよ 生まれた時点で幸せ地獄確定だから
後悔なんてさせねえだからな??? きっとだぞ、おい

今日は風が強い

風が強いといつもより遠くの匂いを運んでくることがある

女性の香水の匂い、近所の食べ物屋の匂い、草の青の匂い

匂いと言えばここは海から遠いので久しく海の匂い、磯の匂いを嗅いでいない

 

『海ってなんだか変なにおいがしますね』

『海の生物が腐った匂いだ、生きていた証なのさ』

 

これはエヴァの新劇場版 破でのシンジと加持のやりとりですが

さて、では陸地はなぜ陸の生物が腐った匂いがしないのかと思いを馳せてみました

 

自分たちが陸の生物だから感じなくなっている?

人工的なにおいが住宅地を覆っているため気が付かない?

実は枯れ葉の匂いなどがそれなのだが身近なためあえて陸の匂いとは認識していない?

そもそも現代社会には動物の死骸が道ばたで放置されることがなくなったため生活圏から排除されている?

 

また、逆の立場も考えてみた

海の生物が陸に近づいた時、彼らは陸のにおいを感じるのだろうか

 

海のにおいは海中プランクトンの死骸らしいので、海に棲む生き物が感じる陸のにおいも陸生プランクトンの死んだにおい?

それとも海は川で森とつながっているので、森のにおいを指すのだろうか?

 

川と言えばサケなどの母川回帰性を持つ魚は嗅覚に優れ、自分の川の匂いを辿れるという

川のにおいとは言ってしまえば森のにおい、すなわち陸のにおいと言えそうだ

 

おそらく陸のものが海のにおいを感じるのと同様に、海のものから見た陸のにおいは存在する

しかし、陸のものが思う陸のにおいと、海のものが感じる陸のにおい

海のものが思う海のにおいと、陸物もが感じる海のにおい

これらは互いに(化学的にも)別物だろう

 

そんな、べつのせかいのいきものと、じぶんたちのあいだの、においのやりとりと、かんじかたについてかんがえてみたかいでした、おしまい

(いつかエドワード・ウォン・ハウ・ペペル・チブルスキー4世(←一度フルで書いてみたかった)風な文章書いてみたいね笑 あとかっこいいダイアログとか笑)

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春ですね もう5月ですが

春といえば、音楽業界では春も毎年3月ごろから"さくら"というシングルが多数発表されるものです

国花にも指定されているサクラ(←ここをカタカナにするのは卒論を生物学で書いたものとしてのこだわり笑)ですし

厳しい冬が明けて咲くサクラは人々の心をほっと安心させてくれる春の風物詩であり

試練を越えてこそ成功を得んとする日本人の心情にも重なるところがあります

 

もうひとつ日本人らしいと言われ、よく歌のタイトルにもなる言葉と言えば

"ありがとう"がある思います

こちらも異を唱える人はいないでしょう

語源をたどれば単に感謝の意を表する言葉ではなく

願ってもない、望外といったような濃い、強い気持ちを表現する言葉ですね

こちらも日本人ながら非常に日本らしいと思います

 

ここからはやきとりロジックなのですが

ありがとうと並んで相手を幸せにしてくれる言葉があります

"おめでとう"です

よく考えると、おめでとうはありがとう程普段使いません

祝賀などの儀式で使われるか、比較的大きな目標を達成した際に言い言われる程度でしょう

それに、個人的には差しで使うのは何だかちょっぴり気恥ずかしい気もします

改めて辞書でその意味を確認してみると

(おめでとうはあいさつ語なので形容詞の「めでたい」)

普段のシーンなら

祝うべきである・立派だ・うるわしい

また、

好み愛したい感じがする

ともあります

 

そして語源について調べてみると

目出度い、芽出度いは当て字であって

本来はめでいたしの約なので 愛で甚し→愛で甚い で

「愛(メ)で」は、愛する・褒める

「甚(イタ)し」は、強く感じる

をそれぞれ意味すると思われます

 

おめでとうはあいさつなので、やり取りをすること形式的なところに大きな意味があるんでしょうね

ただ、これを調べていて、少なくとも直接言う機会には

愛する つまりは相手の気持ちに寄り添って一緒に喜ぶ気持ちを大切にできたら素敵だと思いました

 

ちなみに、金か愛かの二択については 金です

ってなったらオチるんですが、ほんとは、愛派です

そういうこと書いてきてるもんね笑

そういうわけで、ありがとうについて考えてみた回でした

まぁホントいうと↑の曲の『~おめでとうって言われて~』がなんだかジーンときたのがキッカケだったんですけど

それでは、よかったら他の記事も読んでみてください

文体にばらつきがありますが、その点も楽しんでいただければ幸いです笑

 

男と女の貞操について

処女はレアだが童貞は情けないという風潮がある

というのも作り上男は攻めで女は受けであるからして

女のそれは未だ落ちない城だと言って

反対に男は城の一つも落とせない弱小兵だという論理らしい

 

なるほど確かに城を落とせる男なんてのは一人前の戦士だと言えるかもしれない

その戦士の評判が良ければ落とされる城もまんざらでもなく

またそれでもなお残っているとなればその期待はひとしおだろう

 

しかしだ、ちょっと待てよと思わないか??

男が兵士で攻める側なのは分かる

なんで女は城なのよ!?守り方過ぎないか!?

城って一人で落とすもんじゃないから!!パワーバランス考えろって!!!

 

いや、聞いてほしい、私は単に言葉の綾にマジレスしてる訳じゃない

現実問題として二人の人間が結ばれるときはまっさらに人ひとり同士のものだと思うのだ

人間対人間、一対一だ

兵士と城主なんかない、身分なんか関係ないガチンコ勝負じゃないのか

 

逆に兵士と城の話は十中八九、経験済みの人が自らを高め、

未経験者を見下す構図を作り出すべく唱えた論理に過ぎない

 

まあそもそも戦いになぞらえるのはいかにも男的で穏やかじゃないけど

強いて言えば、ホコタテってとこでどうだろう

矛だけを持った戦士と、盾だけを持った戦士の体力勝負

それで「おまえ、強いなあ」って歩み寄りが起きれば成功(性交)

倒してしまうか、どちらかが逃げ出せば失敗

 

何が城だよ、何が城を落とした兵士だよ

 

そんな大それたもんじゃない、地上のどっか一畳分のスペースで起こった生き物と生き物の生き物の姿だ

 

つまり、 男と女は、 兵士と城じゃなくって、 人ひとり同士、一対一ってこと!

母の日が近づいてきましたね

一週間後ですか…

世の中の一般家庭というのは

母の日をはじめ、○○の日にちなんだ慣例行事をこなすのが一般的なのでしょうか

私の実家では…う~ん、よく思い出すとなかったとも言えないのですが

なんというか、形のみに終始していたような気がします

 

母の日はどうかというと、一応父親が母親に代わって夕食を作ってはいました

カーネーションは誰が買ったか分からなかったけどありましたね

 

カーネーションをはじめ、母の日ギフトの謳い文句

『日頃頑張っているお母さんに…』

さて、親の愛が足りなかったと感じている人は考えたことあるかも

”頑張っている”とは何をなのだろうか

 

母親が日頃頑張っている家事炊事とは子供がいる前からもしていた

いわば生活のための”仕事”であって

行為の本質から言えば、それが労われ評価されるのは勤労感謝の日だろう

同様に父の日もそうだ

 

"父"、"母"と付くからには子どもの立場から見た家庭でのはたらきを労い感謝するというのが本来の趣旨だろう

お金を稼いでいる、食事を用意している、それだけでも立派に親をやっていると言いたい気持ちもわかる

でも考えてほしい

食事を作るだけの人と、いつも自分の相手をしてくれるだけの人

子どもはどちらに愛着を感じるだろう???

答えは人によるかもしれないが、多くの人は後者と答えるはずだ

食事は最悪コンビニにあるものでも済ませられる

でも、子どもはコンビニに愛情を感じたりはしないだろう?

 

さらにもっといい親を目指すなら、スキンシップをすることだ

逆にこれが親としての仕事と言っていい

スキンシップを許せる大人は親以外はそういないからだ

 

まだ、相手がまだ自分の背丈より幾分小さい子どもなら目線を揃えてあげることも重要だ

子どもはそれだけでうれしく思うし、大人は子供の見る世界を体験し、

自分の幼少期の経験から今の彼らの気持ちを想像しやすくなる

 

子どもに心から慕われ、笑顔にできる親御さん

ハッピー母の日、そして父の日

 

自信のない人、子どもの日に何してあげた?

ねだったゲームあげて終わりにしてないか??

親が子どもにしてあげられることは同じ時間を共有してあげることさ

GW明けたけどまだ遅くない、っていうか限定的にするもんでもないし

できるうちは、そばにいてあげてね

よくテレビで職人とかに話を聞くと、その生業を人生に例える人がいる

例えば老舗のうどん屋に行ったとする

 

大将、大将にとってうどんってなんですか?

うどんはね、小麦粉から作るでしょ

そこに水っていう全く違うものを加えて作るわけ

粉と液体、これを混ぜてそれで、何回も何回もこねるでしょ

そうするとコシがあっていいうどんができる

これって人生と同じなんだよね

自分だけじゃいい人間にはなれない

他人や社会、自分と違うものと混ざってもまれていくうちにいい人間になってくってわけ

なるほど

 

あるいはスポーツ選手でもそうかもしれない

 

ディフェンスとして大事なことは?

そうですね、ディフェンスはボールが来てから対応してるわけではなくて

いかにこちら側に攻め込まれないか常にディフェンスラインやキーパー、中盤と連携しています

危機に対して事前に把握して、周りと相談して対応策を考えることです

これは人生にも言えることで、常に周りを見て

自分の状況と全体の状況を把握し、次のアクションを考えることが重要です

 

みたいなの、一回と言わず観たことあると思います

 

ところで最近、ギターを始めたいと思ってるんです

まだ買ってないのですがどんな風に練習しようかと想像してみると

指の位置を覚えたり、譜面を読むのに四苦八苦する姿が目に浮かぶんです

一方、先の例から言うとギタリストは演奏だけでなく、ギターを通して人生の教訓を語れるのではないか

逆に自分が今人生を説けそうなものと言えば陸上くらいでしょう

 

この、やることで精いっぱいの初心者とその経験に人生を観たり、他のことに応用できるレベルの人

この差がまさにそれをものにしているかどうかに置き換えられるのではないだろうか

 

ちなみにそれでいえば僕のブログは全くものになってはいないのである笑

前、何もしていない人へ!(名言)で書いた

人は特別何か考えなくてよい時間に内省をし、倫理観を形成するという記述

あれって禁固刑の一つの役割でもあったりするんでしょうか

刑罰には償いと教育の二つの側面がありますが

拘束されている間というのは意外にも自己教育の時間でもあるのかも

もちろんそれは個人の過ごし方次第で

脱獄や復習に燃えている人はその時間でその為の計画を練るんでしょうが

 

https://ameblo.jp/1-9-12-705/entry-12451274548.html

 

~♪

 

なんだかもう、一旦全く別人になってみたいな

ハデハデな化粧でもして、服も衣装かってくらいのやつ着て

そんなのが受け入れられる空間でなんかしらのパフォーマンスかして時間を過ごして

そっから引き算して日常に残ったもので新しい自分を生きていきたい

 

もう、昔に捕らわれていたくない

何か新しいことしようって思うとつい中学とか高校の頃の人たちが変わった自分をどう思うかなんてしょうもないこと考えてしまって、足踏みしてしまう

あんなに昔の自分なんて別人のはずなのにね

どっかで昔の自分のイメージを守ろうとしてんだよね

そんなに大そうな過去だっただろうか

 

そんなんで時間を浪費してる自分にイライラする

なんで昔のままの方が価値があるんだよ

変わっていいじゃん、その方が面白かったらそれでいいじゃん

今の自分の思想だってきっと完全に失われるわけじゃないだろうよ

今の自分の思考でもっとやりたいことあってももう少し変わらないと何の形にも残せないんじゃない?

 

この頭と時間を使って考えた面白いこと、とりあえず形にして残したいなら

もうすこし変わってしまう勇気を持とうよ

みなさんこんばみ、書きたいことができたので書きました

良かったら一読の上コメントなどどうぞっ!

 

 

 

 

世の中、こんなにラブソングが溢れているのに、どうしてだろう この恋愛貧困時代

世の中、こんなに自分を生きろってメロディーがやまないのに、どうしてだろう この閉鎖された雰囲気

 

自分は自由なのだって言い聞かせないと自由な選択をとることも勇気が出ない

 

これだけいろんな人が歌で主張を続けているのに世の中まではなかなか変わらない

歌はただエンターテイメントとして終わるものでもないと思うのだけど

歌はなかなかどうして流れているときにその効力の大部分があって

終わってしまうとそれこそ魔法が解けたようにその主張も熱い気持ちも過去のものになってしまう

 

行動の動機となるまでの経験になるほどは、音楽の力は及んでいないのだろうか

 

 

それではまた次回、やきとり鳥鳥でした

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