60年代
私たちが忌み嫌う「べき」団塊世代。

本当にそうか?


私はあの時代に憧れを抱いている。
決して思想が健全だったとは思わない
幾人もの死者を出し
いつのまにか闇に葬り去られたあの時代
けれど、あの時代の若者は確かに
今のわたしたちにないものを持っていた。

当時流行ったフォークソング
新宿駅で歌われた「友よ」

『友よ この闇の向こうには
友よ 輝く明日がある
夜あけは近い 夜あけは近い』

本気でそう信じていたんだと思う。
その集団心理には戦中に似たものがあったと思うし
はっきり言ってアブナイ。

でも
大学生が持つパワー
社会に対するどこか屈折した想い
それをはっきりと形にしたのは
あの世代だけだったと思う。

自分が大学生だということを自覚する度
わたしはとても複雑な気持ちになる。

「大学生だからできること」
そう言って、いろんな学生がいろんな活動をしている
外に向けて、
そう、社会に向けて何かを訴えかけるように。

でも、それって本当に大学生がやらなきゃいけないことなのかなぁ
もちろんやってることは素晴らしいと思うのだけど(そしていくつかの活動は本当に学生らしくて良いと思っている)
わたしもいくつか関わってきたわけだけど。

大学生って、大人のフリをすることじゃないよ
青年期。
青年期を生きなくちゃ。

青年期ってもっとぐちゃぐちゃしてて
恋愛とかに真剣になって
勉強とかバッカヤロー!みたいな人がいて
政治家罵倒して
なんでもかんでも文句いって
それでも自分の信念だけはあって
就職活動が始まったらいきなり髪を短くする(ここらは一緒だね)

それが大学生だと思うのよ
青年期を生きた証だと思うのよ。

なんか色が違うと思うのよね
時代かねえ。
わたしは間違いなく生まれる時代を間違えたな

もっと、ホントは
心からの叫びがあるんじゃないの?
フォークソングの歌詞が
現代の薄っぺらいのとはちょっと違うように
当時の気持ちを赤裸々に発しているように
わたしたちにはそういうことができる力があるんじゃないの。

せっかく大学生になれたんだから
もっともっと自分の中に潜り込みたい
学校で夜遅くまでくだらない話をしたり
時折喫茶店でまじめな話をしたり。

いつか
「大学生のときは本当に楽しかった」って言えるように

学生だからできること
友達と向きあうこと
自分と対話すること
学生として社会を見つめること

ホントはもう1年学生やりたいけど
今年が終わってしまったら
そういうことが自然にできる友人たちは卒業してしまう

だから私も来年は社会に出る
そのために就職活動をする
学生生活なんて後ろ髪引かれるくらいがちょうどいい
きっとそうだ
なんて自分に言い聞かせてみたりして。


タイトルと関係なくなってしまった。
マイ・バック・ページ
全共闘の学生と若きジャーナリストの話
どんな気持ちでこれを読もうか
未だに考えあぐねているけれど
こんなに真剣に読みたいと思ったテーマはないな
どちらも私が好きなものだから。
全共闘時代の学生も、ジャーナリストは今でも
どこか子供心を持った人間だと思うから。
非常にバカバカしくて大好きな人種です。
人生20余年もやってれば
どうしようもなく疲れる時が一度はあるでしょう。

肉体的に疲れているわけではないのだけど
何もする気力が湧いてこない
精神的疲れの瞬間。
そんな時は
指先に力を入れることすら億劫になる。

いま私は
指先の神経をだいぶ意識しながらこの文を打っている。
考えることすら、億劫だ。
だけどこの瞬間のこの感情は
いましか書けない。

精神的疲れがどこからやってくるのかはわからない。
たぶんほんの些細なことがきっかけなんだと思う。
心のすきまからじわじわ入ってきて
気がついたときには器がいっぱいになっている
そんな感じ。

もうなんでもどうでもよくなるね。
服だってどうでもいいし
時間だってどうでもいいし
あとはなんだろうね
うまく言い表せないけど
自分をとりまくいろんなものがどうでもいい。

あ、でも天気はいいほうがいいな
そしてじぶんのテリトリーは侵されたくない。
そう、雨や雪はじぶんのテリトリーを侵すから。

こんなときは
じぶんの時間をもつ最高の瞬間。
内側にならいくらでも潜れる
外に出ていけないぶん。

そして考える
そうだ、考えるね。
疲れているのに
体を動かしたくないのに
考えることも億劫だと思ったのに
こういう時のほうが考えている。

あぁ、うーん
何を書きたいのかわからなくなってきちゃったな。
結論が出ないのは悪いくせ。
大学2年の時に買った
「最後のパレード」を久しぶりに読んだ。

心の交差点

一気に読んで、号泣して
ブクログに登録しようと検索したら
でてこない。

おやおや?と思ってググると
盗作疑惑で発売停止・回収済とのこと。

こりゃとんだオチがついたもんだと思ったけれど
人様のエピソードを盗用するなんて許されたもんじゃないけれど
元キャストの方のブログを読んだりしていたら
似たようなお話はいくつもあるということだ。

この本を読んで流した涙は本物だし
こんなことがあったらいいなと思うから人は感動する。
そしてディズニーには実際にそれだけの力がある。

こういう社会を目指せば
それでいいじゃないの、ねえ。
私たちが日常でもこういうふうに過ごすことができるようになれば
それでいいじゃないの。

私はこれからもこの本を大切にします
作者のしたことは決して褒められたもんじゃないけど
こんな社会を作ることを夢見て
私は生きていきたいと思う。


。。。。。

ところでこれ、事情を知ったあとに
「最後のパレード読んで号泣なう」って
ツイッターに書こうかちょっと悩んだんだけど

そうするとまた誰かが
「これ、盗作ですよ」とかリプしてくんのかなぁと思って
いちいちイヤな気持ちになるのが面倒だからやめた。

自分の発した言葉で
相手がどんな気持ちになるのか考えなきゃいけないね。
私はまだ
そこまで行きつけてないと思う。

めんどくさい絡みをしてみたり
時には人を傷つけているでしょう。

でも
失敗して、失敗して
人は成長するものだから。
たまには自分も傷つけられなきゃ
相手に教えてあげられないね。


あーーー、
もう2年も行ってないけれど
つぎディズニーランドに行くときは
大切な人と幸せな時間を過ごしたいなぁ。

そう思う。
何かをとても書きたい気持ちなのだけれど
あまり考え事をしたくない気分。
叫びだしたいくらいにもやもやしているのに
そのくせ何を考えているわけでもない。

どうもりかこです。

今日はなんだか悲しい気持ちでいっぱいです
誕生日にもらったバラが枯れてしまったからでしょうか。
少しずつ、遠くなってゆく気がするのです。

わたしの右手が
なにかを創り出したい、と叫ぶ
現在のわたしがそれに応えてあげられることはあまり無い。
高校のときはよかったな
写真の授業に美術の授業、
メディアの授業では映画も撮った
毎日何かを創り出していた。

何かを創れないことは淋しい
とても淋しい。
自分の中に溜まる何かを
書き殴ることすら出来ない。

粉の絵の具に水を含んで
いろんな色を混ぜ合わせて
画用紙の上に叩きつける。
それができないとき
わたしの中で何かが大きくなる
破裂しそうなほどに。

ペンを持ったまま床に倒れこんだ
なにも書くことが見つからなくて
目の前の白い紙に恐怖すら覚えて。

すべてを嫌う
そしてすべてを愛す。
この世の中のすべてを想う。
言葉に、したい。


嗚々
今日はどうやら
なにを言いたいのかもわからない。

photo:01


正直、自分の部屋は嫌いじゃない。
もしも完璧な個室で、しかも冷蔵庫みたいに寒くなかったのならば
わたしは自分の部屋にひきこもって
かなりの時間をそこで過ごしたことでしょう。

幸か不幸か
わたしの部屋は姉の部屋とつながっている。
プライバシーなどない。
それが、わたしの性格的にはとてもつらい。


今回タイトルにもした「自分だけの時間」
昔から、どうしても人の温もりを気持ち悪いと思ってしまう期間がある。
家族でさえも、恋人にさえも
触れられたくない、同じ空間にいたくない。

それは前触れもなく訪れて
わたしをとてつもなく暗い気持ちにさせるのだけれど
我が家の構造上、なかなか1人にさせてもらえないというのも事実で
刺々しいオーラを纏ったまま家族の前に出ざるを得ない。
そんな日は電話さえも煩わしい。

どうして人に会いたくないと思うのか?
多分、自分の時間の流れを壊されたくないからだ。
人が同じ空間にいるだけで
時間の歪みを感じてしまう。
私のなかで、私だけの時間を過ごしたい
おそらくそれが願望。

そんな状態に陥っている時は
人に対して失礼なことも平気でしてしまう。
なぜだか氷のような心になる。
例えばパーティーの最中に自分の内に閉じこもった時
数回の中断は愛想笑いでやりすごせても
何度も続くと次第にイライラしてしまう
そしてそれを顔に出してしまう。

そうして後で後悔するのよね
失礼なことをしてしまったと。
愛想を尽かされてもしょうがないのだけど
適度な距離感を持っている人とは付き合っていきやすい。
その代わり、なかなか互いに踏み込めないけれど。

さて、昔からそうだった私は
昔からネットにもハマっていた。
だからそういう状態のときでも
ネットの中ならなんとか会話ができた。

でもTwitterは少し辛さも感じる。
あそこはどこか生身の人間の付き合いに近いような気がする
会ったことのない人でも
一定の距離を保てなくなっている。

自分自身のそれに対する慣れも怖ければ
それが普通になっている社会も恐ろしい。
踏み込むこと、それが悪いとはいわない
ただ、息苦しさだけがつきまとう夜もある。