『ガール』。 | アーシングエブリナイト

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10年間、夜は導電性シートを使ってアーシングをしながら寝ています。目覚めた時、ゼロボルトの脳とカラダは純正の私そのもの。紡ぐ言葉も私そのものでありたい。

ベルギー映画『ガール』。

主人公はトランスジェンダーの女の子ララ。

ララはホルモン治療をしながら、外科手術を待ちわびている。

完璧な女の子になるために。

心は充分に女の子であるララは、父親や医師たちが、

慎重に治療を進めようとすることに、いら立つ。

でも。

笑顔で物分かりの良い態度で対応し、本心を隠している。

自分のために、転居したことで、父親と幼い弟を犠牲にしているという負い目があるからだ。

一足飛びに女の子になりたいララは、ホルモン錠剤を、こっそり倍の量飲んだりする。

ヨーロッパでは当たり前なのか、ララがトランスジェンダーであることは、

学校でも、ララの通うバレエ教室でも、公になっている。

ララがバレエで実力を見せ始めると、女の子たちの陰湿ないじめが始まる。

合宿の夜、ある女の子が言う。

「あなたのあれを見せて。あなただって私たちの裸を見ているでしょう」と。

確かに、ララが、プールの時に、もぐって、女の子の体を見つめるシーンがある。

くびれたウエストに丸いヒップ、膨らんだ胸。

ただ、ララの視線は自分にないものを持つ彼女たちへの憧憬であり、

彼女たちの幼稚な興味に見せかけたいじめとは違う。

でも。

ここでもララは抵抗をあきらめ、言いなりになる。

ホルモン治療と精神的なストレスで、心身が追い込まれるララ。

とうとう、運命の朝が来る。

父親と弟を見送ってひとりになったララは、

冷静に受話器を取ると、救急車を呼ぶ。

それからボール一杯の氷と鋏を用意する。

窓際に立って、背中を見せるララ。かがんで事に及ぶ。

呻きながら倒れるララ。

 

病室で横たわるララの傍には父親がいる。

ララの清々しい笑顔に、父親はハッとし、そして涙を流す。

常日頃、「ゆっくり女の子になればいいんだよ」とララに語っていた父親は、

それが愛情であっても理解でなかったことに気付く。

どれほど、ララが、自分の体を疎んじていたか、

娘の行為は、尊厳を持って生きるための唯一残された手段であったと気付く。

 

ラストで、ララが地下鉄の構内を歩くシーンがある。

以前は車内で、うつむき加減で、きれいにカールした髪や顔に手をやるしぐさは、

パーティーに出かける女の子のようだった。

が。

この時のララは、肩のあたりでカットした髪に、まっすぐ前を見ながら歩く、

女の子というより、ひとりの女性に見える。

この対比が、絶妙だ。

トランスジェンダーが、いかに精神的成熟をもって(強いられて)、

社会で暮らしているのか、垣間見た気がする。

社会で公であることが、トランスジェンダーを理解しているとは違うこと。

わかったふりをして、立ち位置を変えずに眺めることを、理解とは言わないこと。

気付いて知るべきことが、世の中にはまだまだある、とつくづく思う。

 

最近、面白い映画に当たって(?)嬉しい。

映画の感想は「思い」で書けるから楽しい。

「思い」は他人を傷付けなければ、自由に書ける。

その点、環境問題などのテーマは裏付けが必要だ。

自分の経験したこと、信頼している人の言葉しか載せないようにしている。

言葉は力にもなるが、人を惑わし、迷わすこともある。

いつも心に留めておきたい。